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京都観光タクシー同友会の観光案内

崇泰院(そうたいいん)《知恩院塔頭》Tel:075-531-2111(知恩院)

 親鸞上人は1262(弘長2)11月、90歳でなくなり、鳥部野の延仁寺で火葬後、遺骨は大谷に埋葬されたが、1272年、この地に改葬され、末娘の覚信尼(かくしんに)廟堂を建てて大谷影堂と称した。これが本願寺の発祥とされる慶長8(1603)知恩院の拡張に際し、徳川家康の計らいでこれを廃し、上人の遺骨は東西両本願寺に分け、現在の東大谷廟と西大谷廟がつくられたが、なお旧地は元大谷と称した。

 ちなみに廟所跡の右にある枯れた老杉は「親鸞逆さ杉」といい、上人が逆さに突き立てた杉の杖が根を下ろしたものといわれ、本堂背後にはまた「蓮如上人産湯の井戸」とつたえる井戸がある。

大谷本願寺故地の碑 崇泰院山門 崇泰院境内の梅

【親鸞聖人旧跡(東本願寺)

@無動寺谷大乗院 親鸞聖人は出家の後、最初にここで勉学したと伝える。

《根本中堂から山道を徒歩30分、往復1時間30分》

A西塔 聖光院跡・常行堂 親鸞聖人は、大乗院での勉学ののち、西塔聖光院において常行堂の堂僧として修行に励んだといわれている

B横川中堂 親鸞聖人が主に勉学されたのが「横川」。()(えん)検校(けんぎょう)であった横川の楞厳三昧院の常行堂において、不断念仏を修する「堂僧」として勉学に励んだといわれている

C雲母坂 親鸞聖人が満九歳で御得度をされ、最初に比叡山に登られた道。そして、満29歳で比叡山を降りられた道がこの雲母坂と伝える。

D比叡山延暦寺(根本中堂) 親鸞聖人は、満9歳で第62世天台座主慈鎮和尚のもと青蓮院で得度した

E六角堂(頂法寺) 親鸞聖人はこの六角堂に百日參籠され、95日目の明方に聖徳太子の示現の文を得られたと伝えられている。この示現によって、吉水の地に庵を結んでおられた法然上人をたずね、浄土真実の教えに出遭った

F岡崎別院 吉水時代、親鸞聖人はこの地に庵をむすび、ここから吉水の法然上人のもとへ通った。1801(享和1)年、東本願寺第20代達如上人の時、堂宇を建立して御坊としたのがはじまり。《岡崎道丸太町東入ル北側》

G安養寺 親鸞聖人は、ここ吉水の地に通い、法然上人から浄土真実の教えを聞いた。近くの弁天堂の境内に「吉水」と彫られた古井戸がある。

H光円寺 聖人の入滅の地に関しては諸説があるが、寺伝によれば当地で入滅し、御遺体は事情があって善法院に移されたという。《松原通新町西入藪下町

I善法院跡 1262(弘長2)年、親鸞聖人90歳のとき、この善法院において念仏の息が絶え往生の素懐をとげる。以前は校庭に「見真大師遷化之旧跡」と刻まれた石碑が建っていたが、今は裏門片隅に移された。《御池通柳馬場上ル東側》

J延仁寺 親鸞聖人お亡くなりの後、鳥辺野の延仁寺あたりで荼毘(だび)にふされた。この地に1883(明治16)年東本願寺第21代厳如上人の命により荼毘所が設置。

K崇泰院(そうたいいん) 1272(文永9)年、親鸞聖人の末娘である覚信尼は、東山西の麓、大谷の地に納められていた墳墓を改め、廟堂を建て、親鸞聖人の御影像を安置した。これが大谷祖廟の起源であり、本願寺の始まりである。《知恩院三門前上ル東側》

東本願寺公式サイトより

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