京都観光タクシー同友会の観光案内
【隨心院】《真言宗善通寺派大本山》℡075-571-0025
隨心院の梅園
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弘法大師より8代目の弟子にあたる仁海僧正が、一条天皇の正歴2年(991)奏請して、この地を賜り、牛皮山曼荼羅寺と称した。寺名は仁海僧正一夜の夢に、亡き母が牛となって鳥羽の地にいることを知り、その牛の世話をして孝行を尽くし、その亡き後、牛皮をもって両界曼陀羅に仕上げ本尊としたことに因む。のち寛喜元年(1229)後堀河天皇より、門跡の宣旨を賜り、以来門跡寺院となり随心院と改めた。また、この地は小野氏の領地であったことから、随心院は※小野小町の住居跡とも言われている。
※小野小町 小町は小野篁の孫にあたり、出羽の国司を勤めた小野良実の娘と伝わる。仁明天皇の朝五節の舞姫として、宮中の後宮に仕え、容貌秀絶にして、一度笑めば百媚生じ、又、和歌は巧にして、悽婉女流第一の名手たりと、謳われた。また、書家・小野道風は、小町の従兄にあたるという。
小倉百人一首の「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」は、あまりにも有名。この世を去ったのは70歳を越して亡くなったと伝えられる。
■総門・庫裡 宝暦3年(1753)二条家より移築されたもので、庫裡は二条家の政所であったもの。
■薬医門・玄関・書院 いずれも、寛永年間(1624~31)の建築で、九条家ゆかりの天真院尼の寄進。玄関の左右に小玄関、使者の間があり、襖絵は狩野永納の時代のもので、花鳥山水の図、節会響宴の障子、虎の図よりなる。
■奥書院 徳川初期の建造で、狩野派の筆による、舞楽の図、節会響宴の図、賢聖の障子、虎の図よりなる。
■能の間 宝暦年間(1753~64)、九条家の寄進によるもので、平成3年に改修。
■本堂 慶長4年(1599)、桃山期の建築で、寝殿造風。
◆如意輪観世音菩薩坐像 本堂の本尊。鎌倉時代の作。六道の衆生を救うために、輪宝、蓮華、宝珠が握られており、印を結ぶ。
◆阿弥陀如来坐像[重文] 定朝作と伝える。木造、寄木造、漆箔、彫眼。
◆金剛薩?坐像[重文] 鎌倉時代、仏師快慶の胎内銘。
◆小町文張地蔵立像 平安時代作。小野小町に寄せられた多くの艶書によって作られたと伝える。
◆深草少将百夜通 深草少将が小町を慕って小野の里に、雨の夜も雪の夜も通い続けたが、九十九日目の夜、降る雪と発病により最後の一夜を前に世を去ったという伝説。この時、小町は榧の実で数を取り、後に小野の里に播いたといわれている。
◆小野梅園 うす紅色のことを、古くは「はねず」といい、3月に行われる、唐棣踊りと共に親しまれ、唐棣の梅とよばれる。
◇石楠花 四月中旬に薄桃色の花をつけ優雅に華やかに境内を飾る。巨大な老木もあり、この地と石楠花の歴史の関係は?
◇その他 境内には小町の化粧井戸、小町文塚、小町化粧橋、少将通い路跡など、小町と深草の少将に関する遺跡が多いが、地名の小野郷に因んで生まれた伝説であって、史実によるものではないという。
参考資料 昭和京都都名所図会 竹村俊則著より
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