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【吉田神社】《祭神・建御賀豆知命(たけみかづちのみこと)ほか三柱》TEL075-771-3788

 859(貞観元)中納言藤原山蔭(やまかげ)が、氏神である奈良の春日神を勧請し、平安京の鎮守社としたのが神社の起こり987(永延元)年、官祭に格上げされ、のち、二十二社の一に列せられるに至った。延喜の式外社ではあるが、朝野の崇敬をあつめた。社務については、むかしから卜部(うらべ)(後の吉田氏)神祇官(じんぎかん)として行ってきたが、のちに文明年間(1469~87)兼倶(かねとも)吉田神道(よしだしんとう)を創設し、全国神官の官位昇進を私的に授ける権限を得るなど、絶大な権威を振るった。江戸時代には社領590石を受け、大元宮(だいげんぐう)を中心としてその付近に、多くの仏寺が営まれたが、明治初年の神仏分離に際し、廃寺または他所に移転した。

■本殿 奈良の春日大社を模して建てられたもので、一間社、春日造、屋根は檜皮葺、四棟が並んでいる。祭神は建御賀豆知命(たけみかづちのみこと)伊波比主命(いはいぬしのみこと)天之子八根命(あめのこやねのみこと)比売神(ひめがみ)の四柱を祀る。

■今宮神社 表参道二ノ鳥居の北。木瓜(きゅうり)大明神ともいい、大己貴神(おおなむちのかみ)大雷神(おおいかづちのかみ)建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)を祀る末社の一つで、古来吉田の産土神(うぶすながみ)として崇められている。

竜沢池(たつざわのいけ) 奈良の猿沢池をまねてつくられた池で、いかなる日照りにも水が絶えないという。大正末年まで雨乞い神事が行われたという。

■神楽岡社 本殿の上段の地に西面する摂社。大雷神(おおいかづちかみ)大山祇神(おおやまづみのかみ)高?神(たかおかみのかみ)を祀る。古来神楽岡の地主神として、また、雷除けの神として崇敬されている。

■若宮社 神楽岡社の南にあり、天忍雲根命(あめのおしくもねのみこと)を祀る。1648(慶安元)の建造。一間社、春日造、屋根は檜皮葺。室町時代の様式をとどめている。

■神龍社 若宮社の南にあり、吉田兼倶を祭神とする末社で、兼倶は、1511(永正8)77歳で没し、のち、後奈良天皇より神竜大明神の号を賜った。社は1594(文禄3)造替のもの。

■山蔭神社 大元宮に至る参道の西側にある。藤原山蔭を祭神とする。昭和32年、吉田神社鎮座1100年祭を機に全国料理関係者によって創祀された末社。山蔭は料理・飲食の祖神として崇敬されている。

斎場所大元宮(さいじょうしょだいげんぐう) 天神地祇(あまつかみくにつかみ)八百万神を祀る大元宮を中心とし、その後方に内宮・外宮と延喜式内の神・3132座を奉祀する。大元宮は後宇多天皇(1274~87)が卜部兼邦に命じて勧請せしめられたといわれ、もと吉田家邸内にあったのを、1484(文明16)吉田兼倶がこの地に移建し、吉田神道の根本殿堂としたもの。

■大元宮本殿[重文] 1601(慶長6)の建築で、平面八角の円堂に六角の後房を付し、屋根は入母屋造(いりもやづくり)茅葺(かやぶき)。棟には千木(ちぎ)をあげ、中央に路盤宝珠(ろばんほうじゅ)、前後に勝男木(かつおぎ)を置く。この千木の前は内削(うちそぎ)、後は外削(そとそぎ)になり、また、勝男木は丸材三個重ねが三組、後は角材二個を合わせたのが二組という複雑な構造。これは神仏習合・陰陽五行などの諸説を統合しようとした吉田神道の理想を形に表したものという。神社建築としては、極めて珍しい。

◇吉田祭 毎年418日に行われる。987(永延元)以来、官祭として大原野祭に準じ、倭舞や走馬などがあって、盛大であったが、維新後は奉幣使参向の官祭があるのみとなっている。

◇吉田節分祭 毎年23日を中心に前後3日間。節分は「四方参り」といって、京都では東北方の吉田神社、東南方の稲荷大社、西南方の壬生寺、西北方の北野天満宮に参詣する風習がある。もっとも人気のあるのは京都の表鬼門にあたる吉田神社で、祭儀は疫神祭(えきじんさい)追儺式(ついなしき)火炉祭(かろさい)

疫神祭は前日(22)大元宮において疫神を祀り、「荒振ることなく山川の清き地に鎮まります」ことを祈り、洗米と神酒を中門外に向かって撒く祭事。
追儺式は同日午後7時、本宮前の舞殿にて行われる。大舎人(おおとねり)が黄金四つ目の仮面を被り、右に矛、左に盾をもって方相氏(ほうそうし)となり、振子という8人の子童を従え、疫鬼を追い払うという。これに続いて豆まきが行われる。俗に「鬼やらい」ともいい、平安時代宮中にて12月大晦日に行われていた宮廷行事を模したもので、大正8年より行われるようになった。
火炉祭は節分当日、午後11時より本宮前の広場にて行われる。八角形の火炉に参詣者が持参した古い神札を山のごとく積み上げ、浄火を点じて焼き上げる神事。

◆厄塚 節分祭に際し、大元宮神殿前に設けられる。厄塚は節分に追われた鬼を封じ込めたものといわれ、参詣者は自分の姓名や年令を記した紙に、賽銭と豆を包んで厄塚に投げ、塚に厄を負わせて今年の福を授かるという。

◇吉田と吉田兼好 古くは上賀茂神社の神領地であったが、藤原山蔭が春日神を勧請祭祀してより次第に発展し、平安後期には吉田村と称したという。吉田神社の神祇官卜部氏は、吉田を以て姓とした。この一族からは多くの学者を輩出したが、なかでも『徒然草』を著した吉田兼好(1283~1350?)はもっとも世に知られている。

参考資料 昭和京都都名所図会 竹村俊則著より

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