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【長建寺】《真言宗醍醐派》075-611-1039

 1699年(元禄12)、伏見奉行建部内匠頭(たくみのかみ)※中書島を開拓するにあたって深草大亀谷の即成就院の塔頭多聞院を移し、その姓の一字をとって長建寺と改めたという。ちなみに長建寺という寺名は、「建」部内匠頭の「長」命息災を祈るという意味。中書島遊郭(ゆうかく)と共に発展したが、遊郭の廃止によって衰微(すいび)した。ここではかつて伏見の弁財祭として大護摩供を催していた。その昔は正面疎水の河中でこれを行い、夜空を真っ赤にこがすほどに壮大だったという。

※中書島 中書島とは俗称で、正しくは柳町という。文禄年間(1592-96)、脇坂中務大輔が河州をひらいて屋敷を構えたのが起りで、中務を中国風に中書としるすところから、脇坂侯を敬称して「中書さん」といよんだのが地名の起こりになったと伝える。伏見廃城後、伏見奉行建部内匠頭(たくみのかみ)が、阿波橋の西にあった柳町の遊女をあつめて遊里とし、旧地に因んで柳町と称し、東柳町と西柳町の二つに分けた。この遊郭は淀川を往来する旅客や船頭達を顧客として、江戸時代には大いに栄えたが、昭和33年売春防止法によって廃止になった。廃止当時のお茶屋は68軒、接客婦は約180人余といわれる。

長建寺山門 本堂 鐘楼

本堂 本尊・八臂弁才天を安置。弁才天は世に音楽をつかさどる神として花柳界の信仰を集めた。

伏見七福神 大正年間に栄えたが、昭和32年頃廃絶したとのこと。構成寺社は、海寶寺(福禄寿),石峰寺(布袋尊),西福寺(寿老人),大黒寺(大黒天),金札宮(恵比寿),法性寺(毘沙門),長建寺(弁財天)で、「洛南七福神」とも呼ばれた。現在は伏見五福巡りが現存している。

伏見五福巡り 長建寺(弁財天/開運・商売繁盛の神)

大黒寺(大黒天/開運・出世の神)

御香宮(開運、安産、厄除けの神)

藤森神社(勝運の神)

乃木神社(勝運、勉学の神)

桃山 古くは「伏見山」といい、東は木幡に面するので一に「木幡山」とも呼ばれた。平安時代に橘俊綱がはじめてこの山の南部に山荘を構えてより、景勝の地、観月の地として知られるに至った。文禄年間、豊臣秀吉は軍事交通の要害地としてこの山に着目し、伏見城を築く。しかし、徳川氏の世になって城は破却され、そのあとに多くの桃樹が植えられたから、一般には桃山と呼ばれるに至った。

参考資料 昭和京都都名所図会 竹村俊則著より

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