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京都観光タクシー同友会の観光案内

【壺阪寺(南法華寺)】《真言宗豊山派》0744-52-2016

 正しくは南法華寺だが、壷坂寺の名で知られる。開創は不明な点が多いが、大宝3年(703)の創建といわれ境内からは藤原宮の時期の瓦が出土している。開基は弁基上人。室町時代には相当な大寺であった。西国三十三所第六番札所。また、浄瑠璃「壷坂霊験記」の眼病の効験で知られ、「日本感霊録」に9世紀初めの弘仁年中、盲目の沙弥が壷阪観音の信仰で開眼治癒したという話があり、すでにこのころから本尊の十一面千手観音は民間の信仰を集めていたことがわかる。

礼堂 本堂 高台からの風景
お里・沢一身投げの谷 壺坂霊験記案内 観音石像

■本堂八角円堂 朱塗柱が映える本堂。下部を古色にした朱塗りの柱は勝憲長老発案による色彩。現在の本堂は、江戸時代の建立になるが、発掘によって同じ場所に八角円堂の基壇石が確認され「古老伝」にみえる大同3年建立時(平安時代初期)から場所が変更していないことが分かる。

◆本尊十一面観世音菩薩 室町時代の樫材の寄木造。蓮華座上にどっしりとした姿、ふくよかな顔立ちをする。「眼の仏」として広く信仰を集めている。奈良・平城京を開いた元正天皇は皇女の折り、壷阪寺に詣で眼病の治癒を祈ったと伝えられ白鳳という古い時代から壷阪観音として多くの人に親しまれて来た。桓武・一条の天皇の眼病も平癒されたという。明治に生まれた壷阪霊験記は義太夫や浪曲に取り組まれ、歌舞伎や人形の舞台で演じられている。

三重塔

■三重塔[重文] 室町時代の明応6年(1497)に竣工。3間四方、本瓦葺。江戸時代に大修理が行われている。屋根の下の木組など古式を伝えるが、初層の心柱位置には二段窪み塔心礎がある。

■礼堂(らいどう)[重文] 本尊を拝むお堂。解体修理に伴う調査によって、室町時代文正元年(1466)以前に建立。間口5間、奥行き4間、一重入母屋造(いりもやづくり)本瓦葺(ほんかわらぶき)。建築様式からも室町時代中期以前の建立といわれる。

◆石燈籠(壷阪型) 池脇にある方形の石燈籠は大永7年(1572)の作。

◆奥之院石仏群 寺から300mほどの裏山に登ると岩面にすき間なく刻まれた五百羅漢の石仏群がある。素朴だが、一体ずつ違うので見る者を飽きさせない。

◆天竺渡来大観音石像 昭和58年開眼。寺の10数年にわたるインドでの救ライ事業に対する感謝したインド政府から寄贈された。高さは台座を含め約20mで東大寺大仏より3mほど高い。総重量1200t、デカン高原の花崗岩製。


壺阪霊験記

 壷阪寺が、眼病にご利益があると喧伝されたのは、「三つ違いの兄さんと…」名文句で知られる浄瑠璃『壺阪霊験記』のおかげであるといえよう。 寺の近くに住む座頭沢市には美しい女房がお里がいた。沢市はお里が毎夜家を抜けだすため、男に会うのかと疑い、あとをつけるが、お里は夫の目を治そうと山路を越えて壺阪へ詣でる。事情を知った沢市は慚愧のあまり、谷に身を投げてしまった。お里も後追い自殺を図るが、二人とも壺阪の観音の霊験で助かり、沢市の目も開いたという。この話は、明治の初め、浄瑠璃三味線の名手、豊沢団平夫妻によって浄瑠璃にまとめられ、大評判を得た。後に歌舞伎や文楽にもなり、人気演目として上演される。また、浪花節にもとりあげられて、「妻は夫をいたわりつ、夫は妻を慕いつつ…、の名文句も生まれた。壷阪寺境内には沢市が身を投げたという崖もある。

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