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【東寺(教王護国寺(きょうおうごこくじ))】《東寺真言宗総本山》691-3325

 延暦(えんりゃく)13年(794)の平安遷都(せんと)後、造営がはじまる。工事なかば823年、嵯峨天皇から空海に勅賜(ちょくし)され、真言密教の根本道場となる。平安末期、源平の争いで荒廃、(もん)(がく)上人(しょうにん)が復興に努力、源頼朝(みなもとのよりとも)の援助を得て再建が行われた。しかし、1486年、(つち)一揆(いっき)の群集が境内にたてこもり、伽藍(がらん)のほとんどが焼失。現在のおもな伽藍はその後から江戸初期にかけての再建。平成6(1994)に世界遺産に登録。

金堂 講堂 不二桜
五重塔 食堂 夜叉神堂

宝蔵(ほうぞう)[重文] 校倉造りで藤原時代の建築。弘法大師空海が唐の国師、恵果から預かった数多くの寺宝を納めていた。現在使われている瓦の多くは平安時代。

金堂(こんどう)[国宝] 創建時の金堂は文明18(1486)焼失。慶長11(1606)豊臣秀頼の再建。宋の様式を取り入れた天竺様と和様を合わせた桃山時代の代表的な建物。重層(じゅうそう)(()(こし)付き)の下層正面の屋根の中央を一段高くしているのは奈良時代からの伝統を受け継ぐもので、東大寺大仏殿・平等院・法界寺などで見られる。その扉を開ければ本尊のお顔が明るく拝される。小屋根の下にある両開きの扉は、法会(ほうえ)の時に明けられ、散華(さんげ)したともいわれている。内部は天井まで12m、須弥壇には薬師三尊(桃山)[重文]を安置。脇侍の右が日光(にっこう)菩薩、左が月光(がっこう)菩薩。

七仏薬師如来[重文] 桃山時代を代表する仏師、康正(こうしょう)により復興。本尊に対面して右側は日光菩薩、左側は月光菩薩。薬師如来の台座には如来を守り、如来の願いを成就する働きがある十二神将がぐるりと並ぶ。

講堂(こうどう)[重文] 当初は承和6(829)に完成。文明18(1486)に金堂、南大門などとともに焼失。しかし、室町末期(1491)に再建。内陣(ないじん)(しゅ)弥壇(みだん)は空海の密教思想を盛りこんだ羯磨(かつま)曼陀羅(まんだら)(立体曼陀羅)21体の彫像で構成、うち17体は国宝。この諸尊は護国のための仁王(にんのう)(きょう)曼陀羅を具体的に表現、寺号もこの講堂の構成に基づく。中央の五仏と五菩薩の中尊は桃山時代だが、残りは創建当時のもの。この講堂は空海の理念を今日に伝える最も重要なお堂。

南大門[重文] 蓮華王院(れんげおういん)(三十三間堂)の西門であったのを明治28年に移建。(かえる)(また)の鳥獣の彫刻などに桃山建築の特徴がうかがえる。

五重塔[国宝] 寛永21(1644)徳川家光の再建で五代目。高さ約55m、我が国の塔としては最高最大。弘法大師空海が唐より持ち帰った仏舎利を納める。知られるだけで4度の火災による焼失。心礎から立ち上がった三本継ぎの心柱(しんばしら)(そう)(りん)受けている。初層内部は四天柱(してんばしら)内に(しゅ)弥壇(みだん)を設けて、心柱を大日如来とし、その回りに金剛界(こんごうかい)四仏と菩薩(ぼさつ)を安置。四天柱には両界(りょうかい)曼陀羅(まんだら)、側柱には(はち)大竜王(だいりゅうおう)、板壁には真言八(しんごんはっ)()像、扉に護法(ごほう)八天(はってん)が極彩色で描かれている。塔内部に曼陀羅を描くのは、他に醍醐寺五重塔[国宝]がある。

食堂(じきどう) 昭和5年焼失で昭和9年の再建。寺院で、僧が食事をするための建物。東寺境内の南から北へ、金堂、講堂、食堂とまっすぐに大伽藍が並ぶ、この配置は、仏法僧(ぶっぽうそう)を表す。金堂には本尊の「仏」、講堂は密教の教え「法」、そして食堂が「僧」。生活のなかに修行を見出すところ。ご朱印受付所。

大師堂(だいしどう)(西院(さいいん)御影堂(みえどう))[国宝]  弘法大師の居住した住房。前堂・後堂に分かれた住宅風建築で寝殿造の形式をみせている。当初の堂は康暦元年(1379)の火災による焼失、その翌年に後堂部分が再建。10年後、弘法大師像を安置するために北側に前堂、その西側に中門が増築された。堂内に弘法大師坐像(鎌倉)[国宝]を安置する。後堂には空海の念持仏とされる不動明王坐像[国宝9世紀]を安置(非公開)。毎朝、6時、「お大師様」に朝食を捧げる「生身供(しょうじんぐ)が執り行われ、誰でも参拝する事ができる。

弘法大師像[国宝] 天福元年(1233)、運慶の4男康勝が制作したもの。空海の弟子の真如が描いた空海の肖像とほぼ同じといわれている。

■大日堂 江戸時代、御影堂の礼拝所。いまは先祖供養などの回向所。

鎮守八幡宮 明治元年(1868)に焼失後、1世紀以上を経た平成4(1992)に再建。東寺の鎮守神である僧形八幡神像と女神像2体を安置する。薬子の変の際、空海はここで嵯峨天皇勝利の祈祷を行っている。

宝物館 彫刻では羅城門にあったと伝えられる()(ばつ)毘沙門天像(びしゃもんてんぞう)[国宝]をはじめ真言密教に関するおびただしい文化財を収蔵。東寺は、国宝25件、重要文化財52件・23,603点保有している。

※兜跋毘沙門天像[国宝] 高さ2mの木造彫刻。2鬼を従えた地天(ちてん)(地天女)を踏まえて軽く腰をひねって立つ。容姿が異風で、彫法も類例が無く、中国唐時代の作とされる。

蓮華門(れんげもん)[国宝] 鎌倉時代の建築で、境内の八脚門のうちでも最も優美で均整がとれている。

灌頂院(かんじょういん)[重文] 境内で最も密教的な存在。421日の正()()()に開放。北門内の()()()に吉凶を占う絵馬が掲げられる。

曼陀羅(まんだら) 密教の秘密の世界を目に見えるようにしたのが曼陀羅。金剛界(こんごうかい)曼陀羅と胎蔵界(たいぞうかい)曼陀羅の二つがある。金剛界曼陀羅は精神的世界を象徴し、また男性的原理を示す。胎蔵界曼陀羅は物質的世界を象徴し、また、女性的原理を示す。本来唯一者である大日如来のもつ二面性を表現。二つの曼陀羅は、ともに大日如来を中心にして、無数の仏菩薩から餓鬼(がき)畜生(ちくしょう)にいたるまで、あらゆる存在が描かれており、万有すべてが大日如来の分身とされている。

□都七福神 毘沙門堂は財宝と福徳の神様毘沙門天を祀る。ご朱印受付は食堂。

 

(かん)智院(ちいん)[教王護国寺塔頭]

 東寺の塔頭寺院であるが、別格本山となっている。学僧であった杲宝(ごうほう)1世として延文4(1359)に子院として創建。杲宝は現在国宝となっている「東宝記」という東寺の創建から室町時代に至る寺史をまとめた。観智院は東寺のみならず真言宗全体の勧学院と位置づけられ、多くの学僧を輩出。経蔵である金剛蔵には膨大な文書・典籍・聖教類が所蔵されていたが、現在は東寺宝物館に。

■客殿[国宝] 慶長10(1605)の再建。桃山時代の典型的な書院造りの建造物。上の間には宮本武蔵筆といわれる「鷲の図」などの襖絵がある。客殿南の庭園は「五大の庭」と称される。

■本堂 本尊の五大虚空蔵菩薩像[重文]は、唐から山科安祥寺(あんしょうじ)恵運(えうん)請来したと伝えられ、学僧の賢宝(けんほう)が安祥寺から移し本尊としたという。

 

【西寺跡】平安京が遷都されたとき、寺院の建立は、東寺と西寺しか許されなかった。東寺は国の東の王城鎮護、西寺は国の西の王城鎮護を担う官寺として創建されます。源平の合戦が起こり、平安時代も終わりに近づくと、羅城門は崩れ落ち、東寺、西寺とも衰退の一途をたどりますが、やがて、時代が鎌倉へと移り、東寺には復興の兆しが見えてきます。しかし、西寺は天福元年(1233)に唯一残っていた五重塔が焼失、以後、西寺が復興する事はなかった。

参考資料 昭和京都都名所図会 竹村俊則著より

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