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【等持院】《臨済宗天竜寺派》075-461-5786

等持院の紅葉 2010年11月

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 1339年(暦応2)、足利尊氏が夢窓疎石を開山に、洛中に※等持寺を創建し、同4年に別院の北等持寺(もと仁和寺の一院)を衣笠山山麓に造営した。尊氏の死んだ1358年(延文3)に北等持寺は尊氏の塔所(墓所)となり、法名により等持院と改められた。本寺の等持寺も応仁の乱ののちに等持院に合併されたという。二代義詮(よしあきら)、三代義満も当院に葬られ、以後、足利歴代将軍の葬儀は当院にてとりおこなわれることになった。往時は禅宗十刹の第一位となり、寺観は大いに整ったが、その後、幾度も炎上、寺地も山麓から南へ移動した。

※等持寺 東西は柳馬場より高倉、南北は二条より御池までおよんだ。

山門 芙蓉池庭園 清漣庭
勅使門 足利尊氏塔 十三重石塔

■方丈 単層、入母屋造、桟瓦葺。1616年(元和2)福島正則が建立した妙心寺海福院の方丈を移建したものといわれ、内部は禅宗寺院の方丈と同じく六室からなり、正面中央の仏間には釈迦三尊像を安置する。

■霊光殿 尊氏の念持仏といわれる地蔵像を中央にし、達磨大師と夢窓国師の像を左右に安置し、堂内周囲の壇上に足利歴代各将軍の衣冠等身の木像13体(五代義量(よしかず)、十四代義栄(よしひで)の像を欠く)が並んでいる。また、徳川家康像があるが、明治初年の神仏分離の際、石清水八幡宮から移したものといい、家康42歳の像という。いずれも江戸時代の作。ちなみにこの木像のうち、尊氏・義詮・義満の三木像の首は、1863年(文久3)2月、尊皇攘夷派の過激浪士によってぬきとられ、三条河原にさらされたという。

◆足利尊氏塔 享年54歳。墓石は石造宝篋印塔(ほうきょういんとう)(江戸)で、その台座は蓮華供花紋を浮彫りとした鎌倉時代作の見事なもの。ちなみに、勤皇志士高山彦九郎が尊氏の罪状をかぞえ、鞭を以って打ったという。

◆庭園・東庭 旧真如寺の庭で、心字池を中心とし、池中に大小三個の島を配し、三神仙島をかたどっている。池の地割は西芳寺の黄金池と同じく、南北朝時代の池の様式を残した庭園で、中島には楼閣があったという。なお池の北側に足利歴代将軍の遺髪を納めるという十三重石塔(室町)がある。

◆庭園・西庭 江戸時代。芙蓉池の中央に大きな中島を設け、石橋を架け、多数の庭石を配し、後部山畔に枯滝石組をつくっている。旧真如寺の庭石等を運んで改修したものと見られる。

■清漣亭茶室 江戸時代。珍しい武家床の貴人席で、二畳台目の席。向かって右手奥の一畳を上段構えとし、左手水屋の入口を土間としたすこぶる清楚閑雅な茶室。また、入口の前には司馬温公型とよばれる自然石の手水鉢があり、石灯籠は寄せ集めではあるが、等持院型または清漣亭として茶人間に知られている。

◇寺宝 紙本淡彩「等持寺古図」一幅[重文]、尊氏自画賛の「芦葉達磨図」および「豊臣秀吉画像」、狩野探幽筆「観音と蝦蟇鉄拐仙人図」等を有する。

◆境外墓地 等持院方丈より北へ約200m、立命館大学校舎の中を通り抜けた突当り、衣笠山麓にある。江戸末期の浮世絵画家速水春暁斎の墓をはじめ、近代の画家山元春挙、同木島桜谷および日本映画初期の時代劇尾上松之助や映画監督衣笠貞之助等の墓がある。

参考資料 昭和京都都名所図会 竹村俊則著より

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