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【東福寺】《臨済宗東福寺派大本山》075-561-0087

東福寺通天橋の紅葉 2010年11月

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 京都五山の一つ。1255(建長7)、関白・九条道家が氏寺として建立。開山は聖一(せいいち)国師(こくし)(えん)()(べん)(ねん)。奈良の東大寺と興福寺にあやかって、各一字ずつを取り寺名とした。度重なる兵火と1881(明治14)の失火で仏殿(ぶつでん)法堂(はっとう)庫裡(くり)などを焼失、逐次再建してきた。塔頭は25ヶ寺。

三門 六波羅門 東司
東司内部の肥壺 東司内部 禅堂

六波(ろくは)羅門(らもん)[重文] 北条氏の六波羅政庁にあったのを移したといわれる。

■三門[国宝] 室町初期(1380年代)の建築で、日本最古の禅宗寺院の三門。上層は、足利義持筆「妙雲閣」の扁額。内部は釈迦三尊と十六羅漢を安置。因みに、三門とは三解脱門のいう意味で、空門、無相門、無作門を言う。空門は、あらゆるものが実体を持たないという悟りを得るための瞑想、無相門はあらゆる変化にとらわれずに済むための瞑想、無作門は欲求の対象とするに値するものは何も存在しないことに気づくための瞑想。

東司(とうす)[重文] 室町時代の禅宗式の便所。通称(ひゃく)雪隠(せっちん)

■禅堂(選仏場)[重文] 室町初期の建立。

本堂 本堂前のイブキ 勅使門
方丈庭園 方丈庭園の手入れ 井田市松の庭
市松の庭 北斗七星の庭 開山堂

■本堂 昭和9年に落成、仏殿と法堂を兼ねている。天井の竜は堂本(どうもと)印象(いんしょう)作。涅槃会(ねはんえ)(3/1415)の時、涅槃図(吉山(きちざん)明兆(みんちょう)=(ちょう)殿司(でんす))が一般公開される。この涅槃図には、魔物としてふつうは描かれない猫が描いてあるのが珍しい。

■浴室[重文] 室町時代。京都最古の浴室建築。

■十三重石塔[重文] 室町初期。

■方丈 1890(明治23)の再建。方丈表門は昭憲(しょうけん)皇太后(こうたいごう)の寄進の『恩賜門』。

◆方丈庭園 昭和13年、造園家・重森三(しげもりみ)(れい)による作庭。方丈建物を中心にして東西南北の四庭からなり、釈迦(しゃか)成道(しょうどう)八相(はっそう)にちなんで『八相の庭』と呼ばれる。南庭は蓬莱(ほうらい)・方丈・(えい)(しゅう)壷梁(こりょう)の四島に見立てた巨石と五山に因んで大和絵式の築山を配した(かれ)山水(さんすい)。砂紋は、絵巻物などの大和絵に出てくる(かい)波紋(はもん)という。西庭は『井田(せいでん)市松(いちまつ)の庭』、北庭は『市松の庭』、東庭は『北斗七星の庭』。

通天(つうてん)(きょう) 昭和36年の再建。通天橋の舞台下には洗玉澗(せんぎょくかん)と呼ばれる渓谷があり、ここには桜の木がない?吉山明兆が足利義持に申し出た話に、「東福寺の衆徒が桜を愛するあまり境内に多くの桜の木を植えれば、後世おそらく遊興の場となろう。よって願わくばこれを禁じられたいといったので、義持は大いに感激し、桜の木を伐らしめた。」と伝わる。禅に桜は似合わない。

■開山堂(常楽堂) 聖一国師入定の地。常楽庵といい、上層には伝衣閣(でんねかく)の楼閣。内部に布袋(ほてい)和尚(おしょう)像を安置。この布袋像は伏見人形の原型といわれている。

■開山堂庭園 参道が枯山水と池庭の二つに分かつ。江戸中期に作庭。

普門院(ふもんいん) 開山・聖一国師の常住した方丈と伝える。

◆万寿寺(東福寺塔頭) 京都五山の一つ。もと、高倉万寿寺にあったのが、市中大火に罹災し、後、天正年間(157392)に現在地に移る。明治維新後は寺領を多く処分して民有地となり、さらに昭和10年市電東山線の開通によって、境内の中央を分断され、往時の寺観を失った。むかしの正門であった仁王門[重文]は南へ100m余り、東福寺の北門の近くに離れて建っている。

 室町時代、万寿寺の寺運は隆盛を極めたようであるが、往時の規模についてはあまり明らかではなく、境内には多くの桜花のあったことだけは知られている。先出の吉山明兆の『桜の伐採の話』は、万寿寺衰退を暗示しているよう。

参考資料 昭和京都都名所図会 竹村俊則著より

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