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【東大寺】《華厳宗大本山》0742-22-5511

 天平(てんぴょう)13(741)聖武(しょうむ)天皇の勅願(ちょくがん)により、総国分寺(そうこくぶんじ)として建立。はじめは金鐘寺(こんしょうじ)と称していたが、のち金光明寺(きんこうみょうじ)(正式名称・金光明四天王護国之寺(きんこうみょうしてんのうごこくのてら))と改める。天平勝宝(てんぴょうしょうほう)4(752)には大仏が開眼(かいげん)、国費の5分の1を費やし伽藍(がらん)を造営する。治承(じしょう)4(1180)平重衡(たいらのしげひら)の南都焼討ちによっておもな堂宇を失ったが、ただちに重源(ちょうげん)勧進(かんじん)で復興。1567年、松永久秀の兵火で鎌倉時代のおもな伽藍を再び焼失、1692年になって竜松院公慶(りゅうしょういんこうけい)の勧進で現在の寺観を整えた。

南大門 金剛力士像 石造獅子像
八角灯籠 金堂(大仏殿) 毘盧舎那仏坐像

■南大門[国宝] 1199年の上棟。治承の兵火後に再建された鎌倉復興期の建築で、重源が中国・宋から導入した天竺様(てんじくよう)の代表的遺構。門の左右の金剛力士像[国宝]は、日本で最も有名な仁王像。

金剛力士(こんごうりきし)(仁王)立像(りゅうぞう)[国宝] 1203年の製作。高さ約8.4m。運慶(うんけい)快慶(かいけい)作。その後の仁王像に大きな影響を与えた。運慶は康慶(こうけい)の子で鎌倉彫刻の第一人者。京都七条仏所を隆盛に導き、興福寺を中心に遺作がある。また、快慶は康慶の弟子で運慶と並び称されるが、常に運慶の下位にあったといい、重源に帰依して安阿弥(あんあみ)と称した。

◆石造獅子(しし)1双[重文] 1196年、中国の石材を用いて制作。宋朝風の特色。清水寺仁王門の狛犬(こまいぬ)の容姿と比較!

◆八角灯籠[国宝] 銅製。4体の音声菩薩(おんじょうぼさつ)が浮き彫りされている。

金堂(大仏殿)[国宝] 江戸時代(1708)、天竺様の手法で再建。高さ47.5m、東西57m、南北50.5m。創建当初より3分の2ほどに縮小されているが、木造建築としては世界最大。ちなみに、東本願寺大師堂は高さ38m、東西58m、南北76m。容積を比べれば東本願寺の方が、約1.2倍大きい?正面裳階(もこし)上の唐破風(からはふ)の下の窓を開ければ、中門から大仏の顔を拝むことができる。本尊は毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ)坐像、脇侍(きょうじ)は江戸時代の如意(にょい)(りん)観音・虚空蔵(こくうぞう)菩薩を安置。

毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ)坐像[国宝] 天平勝宝4(752)の開眼。聖武天皇の熱烈な信仰により造立。地震や兵火でたびたび破損、数度の補修を重ねる。高さ15m、重さ約452t、頭部は1690年、右手は1580年の鋳造。造立当初の部分は腹部、両足、台座の蓮弁(れんべん)などに残されている。蓮弁の一部に創建時に描かれた蓮華蔵世界の釈迦像の線刻(せんこく)が残る。毘盧舎那仏とは、太陽を意味し、太陽のように宇宙をあまねく照らすという、華厳経の本尊。略して盧舎那仏とも呼ぶ。

鐘楼 法華堂(三月堂) 二月堂
若狭井 戒壇院 転害門

■鐘楼[国宝] 鎌倉時代、栄西の建立と伝える。梵鐘[国宝]は大仏開眼供養に使用されたという。大晦日だけ一般の人もつける。

■法華堂(三月堂)[国宝] 東大寺建立以前にあった金鐘寺の遺構と伝える。本堂は天平初年の建築の寄棟造(よせむねづくり)。改築した礼堂(らいどう)は入母屋造で本堂と中屋根でつながり一棟のようになっている。時代の異なる建物が優れた技術でつながれた日本の名建築の一つ。堂内は天平彫刻の宝庫で本尊は不空羂索(ふくうけんざく)観音。はじめは、羂索堂とよばれたが、旧暦3月に法華会が行われるようになって法華堂、または三月堂という。

◆不空羂索観音立像[国宝] 法華堂の本尊。乾漆造(かんしつづくり)(麻布と木屎漆(こくそうるし)を使った技法。木屎漆とは、漆に麦粉や木の粉、繊維などを混ぜた粘り気のあるもので、木彫像の仕上げや、干割れの補強などにも用いられる。奈良時代に流行する。脱活乾漆(だつかつかんしつ)造と木心乾漆(もくしんかんしつ)造がある)、高さ3.6m、38(さんがんはっぴ)。天平彫刻の最高傑作といわれる。一段高い内陣の上に、さらに2重の須弥壇を重ね、その上に立つ本尊を土間から仰ぎ見るようになっているが、もとは土間に床が張ってあり、現在より高い位置から拝していた。

◆日光仏・月光仏立像[国宝] 塑像(白鳳時代から天平時代に流行。心木に藁縄(わらなわ)を巻いた上に、粗い土から細かい土へと何層かに分けて盛り上げ、雲母を混ぜた精土で造形する)。右を日光、左を月光と呼ぶ。着衣や頭部の飾りなどから、梵天(ぼんてん)帝釈天(たいしゃくてん)と見る説もある。天平彫刻の名作。

◆梵天・帝釈天[国宝] 本尊の脇侍(きょうじ)。乾漆造。右が梵天、左が帝釈天。本尊よりも大きいのは、須弥壇上の本尊の高さを基準にしているため。

◆金剛力士(阿形・吽形)[国宝] 乾漆造。右が吽形、左が阿形。ふつう仁王は上半身裸形だが、冑をまとっているのが珍しい。

■東大寺二月堂[重文] 1669年の再建で懸崖造(けんがいづくり)。本尊は絶対秘仏の十一面観音。毎年3月の修二会(しゅにえ)(お水取り)で有名なお堂で、旧暦2月に行われたので二月堂と呼ばれる。

□お水取り 312日の深夜(13日午前2時ごろ)。二月堂下の若狭井から本尊に供える一年分の香水を汲み上げる行事。1214日の後夜のあと達陀(だったん)と呼ばれる行事があり、古代インドの火法ともいわれ、約40kgもある大松明をもった練行衆(れんぎょうしゅう)が堂内を駆け回る。

■東大寺戒壇院[国宝] 江戸時代の再建。聖武天皇は鑑真(がんじん)によって大仏殿前庭に特設した戒壇で、日本ではじめて正式の戒を受け、翌年現在地に戒壇院を建立した。堂内の四天王立像[国宝]で有名。

◆四天王立像[国宝] 塑像(そぞう)彩色像。強い気迫を秘めた憂愁の表情、皮革製を思わせるような甲冑のしなやかさ、黒曜石(こくようせき)をはめこんだ目など、天平彫刻の精華といわれる。特に広目天(こうもくてん)多聞天(たもんてん)は有名。

■正倉院 天平時代の建築。校倉造(あぜくらづくり)。正倉院とは寺院の主要な倉庫のある一郭を指す一般的な名称。聖武天皇遺愛の品、光明皇后寄進の品、大仏開眼供養に用いられたものなど約3,000点の宝物を伝える。現在は新宝庫に宝物を収蔵。

■東大寺転害門[国宝] 東大寺創建当初の建築。鎌倉時代に修理。

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