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【智積院】《真言宗智山派総本山》075-541-5361
智積院の紅葉 2010年11月
2010-11-18 | 2010-11-18 | 2010-11-18 |
紀州根来山の塔頭・智積院がこの寺の原形。戦国時代、天正13年に豊臣秀吉の根来攻めにより堂塔伽藍は灰になる。江戸時代の初め、豊臣秀吉が長子鶴松の菩提を弔うために建立した祥雲寺跡のこの地に、徳川家康の寄進により根来寺の智積院は再興された。のちたびたびの火災にあって建物を失い、また、明治時代に神仏分離政策により智積院は大きな打撃を受ける。
山門 | 智積院玄関から七条通を見る | 金堂 |
■金堂 元の金堂は明治15年に火災により焼失。現在の金堂は宗祖弘法大師の生誕千二百年の記念事業として昭和50年に建設。本尊・大日如来像は西村公朝の監修という。
■講堂 灌頂道場や各種研修の道場として使用。現在の建物は、平成4年(1992)の興教大師850年御遠忌記念事業として計画し、平成7年(1995)10月に完成。
■収蔵庫 国宝の障壁画が展示されている。長谷川等伯をはじめ門下生が描いた楓図、桜図などの障壁画は、わが国を代表する文化遺産として国宝に指定されている。桜図は、等伯の息子久蔵25歳の作。また、楓図は等伯55歳の時、息子久蔵の死に対して、人生無常の感を振り切り自己の生命力を画面一杯に傾けて描き出しているという。
智積院書院庭園 | 智積院書院庭園・ねこやなぎ |
■庭園[名勝] 秀吉が建立した祥雲寺のころに造られたものを、延宝2年(1674)に智積院第七世運敞僧正が修築したもので、江戸初期の作風がみられる。池が書院の下まで入り込み、書院に迫るように築山を設け、自然の景色を模した池泉鑑賞式庭園。利休好みの庭と伝えられ中国の廬山をかたどって造られている。正面右側、石橋より奥は祥雲禅寺時代に造られたもので、桃山時代の特色である自然石のみを用い、刈込を主体とし、また庭の外にある大木をも借り、深山の中にあるような奥行のある野性的な雄大さや勇壮さを感じさせてくれる。そして滝の落ちている正面、石組と植込とが交互に並び、洗練された美しさが築庭の極限を表現し、江戸時代好みの感じを与えている。
◇真言宗智山派 千葉の成田山新勝寺、神奈川の川崎大師平間寺、東京の高尾山薬王院の大本山を初め、東京の高幡山金剛寺、愛知の大須観音宝生院、栃木の出流山満願寺を別格本山として現在全国に約三千カ寺を有する。
◇智積院の名について 智積院の名は根来山内に建てられた寺に由来。正応元年(1188)に大伝法院や密厳院が根来に移築され、学徳に秀でた頼楡僧正により根来山はいよいよ発展、天正年間には坊舎が二千余も立ちならぶ。後に高野山の教えは古義、根来の学風は新義といわれ区別する。この時、智積院・玄宥能化と妙音院・専誉能化の二人は難を逃れ、後に専誉能化は天正15年(1587)大和の長谷寺に入り、これが今日の真言宗・豊山派の総本山になる。
参考資料 昭和京都都名所図会 竹村俊則著より
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