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【天龍寺】《臨済宗天龍寺派大本山》075-881-1235

天龍寺の桜花 2011年4月

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天龍寺の紅葉 2010年11月

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 1339(延元4)、足利尊氏が後醍醐天皇の供養のため、※夢窓疎石(国師)を開山として創建。武家の手で建立された初めての禅寺。造営に際して尊氏や光厳上皇が荘園を寄進したが、なお造営費用には足りず、元冦以来途絶えていた元との貿易を再開。その利益を造営費用に充てることを計画。これが「天龍寺船」の始まり。南禅寺を五山の上として天龍寺を五山の第一位に。たびたびの兵火で堂宇(どうう)は焼失、特に(はまぐり)御門(ごもん)の変では長州藩の屯営(とんえい)になったために攻撃され壊滅(かいめつ)。現在の諸堂のほとんどは明治の再建。1877(明治10)の上地令により境内地はかつての10分の130ha(3万坪)の境内地となる。世界遺産。

※夢窓疎石(12751351) 南北朝時代の禅僧。後醍醐天皇、足利尊氏の帰依(きえ)を得て、臨済宗の地位を高めた。造園にすぐれ西芳寺・天龍寺・鎌倉瑞泉寺・山梨恵林寺などに名園を残す。

天竜寺法堂 庫裡 方丈前庭園
特別名勝庭園1 特別名勝庭園2 更紗空木
嵐山の紅葉 大堰川の屋形船 天竜寺北側の竹林

勅使門(ちょくしもん) 伏見城の遺稿(いこう)と伝え、天龍寺最古の建築。桃山様式。

法堂(はっとう) 1864(元治元)の兵火にて焼失、その後、明治になり江戸後期建立の雲居庵禅堂旧選仏場(せんぶつじょう)を移して法堂としたもの。法堂とは説法堂の意であり、住持が仏に代って衆に説法する場所。正面須弥壇には釈迦三尊像を安置し、後の壇には光厳上皇の位牌と歴代住持の位牌および開山夢窓疎石と開基足利尊氏の木像が祀られ仏殿としても使用。

◆雲竜図 1997(平成9)に法堂移築100年・夢窓国師650年遠諱記念事業として加山又造画伯(19272004)により新しく雲龍図が制作される。天井(10.6 12.6)に厚さ3cmの檜板159枚を張り合わせ全面に漆を塗り、さらに白土を塗った上に直径9mの二重円相内に直接墨色で八方睨みの龍を描く。移築当時は明治期に鈴木松年画伯の雲龍図が描かれていたがその一部が保存されており、毎年2月に大方丈にて一般公開。

■庫裏 1899(明治32)の建立。庫裏は七堂伽藍の一つで台所兼寺務所の機能を持つ。玄関に入った正面に置かれる大衝立の達磨図は前管長・平田精耕(ひらたせいこう)老師の筆。方丈の床の間などに同じ達磨図が見られ、禅宗を象徴した天龍寺の顔。

大方丈(だいほうじょう)・小方丈 大方丈は1899(明治32)の再建。正面の「方丈」の扁額は関牧翁(せきぼくおう)老師(天龍寺第8代管長)筆。本尊は釈迦如来坐像[重文] で平安時代後期の作とされ天龍寺の造営よりもはるかに古い。天龍寺が受けた都合8度の火災のいずれにも罹災せず助けられた仏像。東西を仕切る襖の雲龍の絵は昭和32年、若狭(わかさ)物外(ぶつがい)筆。富岡鉄斎門下の山田介堂に学んだ富岡鉄斎唯一の孫弟子。小方丈は1924(大正13)の建築で来客や接待や様々な行事、法要などに使用。

多宝(たほう)殿(でん) 昭和9年、後醍醐天皇の吉野行宮時代の紫宸殿(ししんでん)()して再建。後醍醐天皇の尊像を祀る祠堂で、前に拝堂をもち、後ろの祠堂と相の間でつなぐ。中央に後醍醐天皇の像、両側に歴代天皇の尊牌が祀られている。この場所は亀山上皇が離宮を営んだ際、後醍醐天皇が学問所とした地といわれている。

◆南北朝時代 後醍醐天皇は鎌倉幕府滅亡の後、建武(けんむ)新政(しんせい)を行うが、足利尊氏がそむいたため神器を光明天皇(北朝)に譲り、吉野で南朝を樹立(1335)。京都奪回を企てたが成功せず没する。後醍醐天皇は「たとえ骨は南山の苔に埋もれても、魂は常に北の宮殿の天を望むだろう」と語ったという。南北朝合一(ごういつ)は約60年後、足利義満の登場を待つこととなる。

◆天龍寺と桜 後醍醐天皇を祀る多宝殿の前には、立派な枝垂(しだ)れ桜があるが、かつて、吉野で憤死(ふんし)した後醍醐天皇の霊を(なぐさ)めるために、吉野から多くの桜が嵐山一体(かつての天龍寺境内)に移植されたという。

■庭園[特名・史]  わが国最初の史跡・特別名勝指定第1号。作庭は伝・夢窓疎石。曹源池(そうげんち)を中心にして嵐山・亀山・小倉山・愛宕山を借景とし、石滝組を構え、橋をかけ、三尊をかたどった岩島を配した庭。また、その石滝組龍門(りゅうもん)(ばく)は、まさに龍と化そうとする鯉の姿をかたどった鯉魚(りぎょ)(せき)を置いた石組で、通常の鯉魚石が滝の下に置かれているのに対し、この石は滝の流れの横に置かれており、今までにない作庭手法。中国式であるがゆえに、中国の禅僧・蘭渓(らんけい)道隆(どうりゅう)の作とも伝える。曹源池の名称はさらえた泥の中から、「曹源一滴(そうげんいってき)と彫られた石が見つかったという。曹源一滴とは、禅の言葉で、「一滴の水があらゆる命の根源である」という意味。ちなみに、鯉が滝ではなく竿(さお)にのぼると、こいのぼり。江戸時代の江戸で起こり、たちまち広がった。

※「龍門(りゅうもん)(ばく) 中国の故事にある「登龍門」の由来である鯉が、三段の滝を登って将に龍に化す様を現している。中国南宋よりの帰化僧の蘭渓道隆禅師が中国の故事にある登竜門(鯉が死を賭してまで竜になるべく努力するさま)にならって、修行僧が観音の知恵を得る(悟る)まで、努力をしなければならないことを日本庭園の形で教えている。このテーマを夢窓国師が引き継いだ。

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