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京都観光タクシー同友会の観光案内

【退蔵院(妙心寺塔頭)《臨済宗妙心寺派》075-463-2855

退蔵院の桜花 2011年4月

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退蔵院の紅葉 2010年11月

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 越前の豪族・波多野(はたの)重通(しげみち)無因(むいん)宗因(そういん)禅師(妙心寺第3世)に帰依(きえ)して開山(かいざん)とし、建立したと伝える。もと千本松原にあったが、1404(応永11)年、妙心寺に移された塔頭の一つで、天授院(てんじゅいん)についで古い。退蔵院は応仁(おうにん)の乱で妙心寺とともに炎上したが、亀年禅師によって再建される。

山門 方丈庭園 余香園1
余香園2 余香園3 余香園4

■方丈(ほうじょう)[重文] 大玄関は(から)破風造(はふづくり)の変態で非常に珍しいとされている。玄関の様式は(はかま)腰造と呼ばれるもので破風の曲線が直線になっており、ちょうど袴の腰のよう。茶道(ちゃどう)石州流(せきしゅうりゅう)の祖片桐(かたぎり)石州の発案した様式だとの説もある。方丈内部には、狩野光信の高弟であった渡辺了慶(わたなべりょうけい)筆の障壁画28面がある。この襖絵は高台寺の屏風絵や西本願寺の襖絵などとともに、桃山後期の優れた遺品とされている。

瓢鮎図(ひょうねんず)[国宝] 室町幕府第4代将軍足利義持(よしもち)が画僧・(じょ)(せつ)に命じて描かせたといわれており、現存する彼の作品の中での最高傑作。「ただでさえ捕まえにくい(なまず)を、こともあろうに瓢箪(ひょうたん)で捕まえようとする。」この矛盾をどう解決するか、将軍義持は当時の京都五山の禅僧31人に参詩を書かせた。ここに「鮎」とあるのは「なまず」のことで、普通「なまず」は「鯰」という字を書くが、この鯰は国字(日本の文字)のため、中国由来の「鮎」と表記されている。

◆方丈庭園[史名] 室町後期に狩野派の技法を確立させた(かり)野元(のもと)(のぶ)(1476~1559)の作と伝わる。右奥の滝に源を発した力強い流れが重厚な山石にぶつかり、黒い石の間をうねる。次第にゆるやかになった優美な小石の線が大海へと注いでゆく様が枯山水で表現されている。自分の描いた絵をもう一度立体的に表現しなおしたものといわれ、「(みやこ)林泉(りんせん)名勝(めいしょう)図会(ずえ)」にも紹介された名園の一つに数えられる。

余香(よこう)(えん) 造園家・中根(なかね)金作(きんさく)氏(元大阪芸術大学学長)の設計によるもので、昭和38年に着工し、3年の月日を費やして完成。伝統的な造園手法を基盤とした厳しさの中にも優雅さを含む、昭和の名園。構造上目立たぬ苦心が随所に払われており、正面から庭園を見渡すと、奥行きが生まれ、庭園が広く見える。

(すい)琴窟(きんくつ) 江戸時代に庭師が考案したといわれる日本庭園の巧妙な装置で、蹲踞(つくばい)の排水を利用して妙なる音を生み出したもの。明治から大正にかけて流行、近年になって再び静かなブームを呼び起こしている。構造は、そこに穴をあけた(かめ)を逆さにして土の中に埋め込み、蹲踞を通じて穴から流れ込んで水が水滴となって甕の下に溜まった水の面に落ちるとき、甕に反響する深く澄んだ妙音を楽しむもの。他に正法寺(しょうぼうじ)(ほう)泉院(せんいん)・大橋家・相国寺(しょうこくじ)瑞春院(要予約)などにある。

参考資料 昭和京都都名所図会 竹村俊則著より

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