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【多賀大社】祭神(さいじん)伊邪那岐命(いざなぎのみこと)伊邪那美命(いざなみのみこと)0749-48-1101

 伊勢神宮の祭神・天照大神(あまてらすおみのかみ)の両親である伊邪那岐(いざなぎ)伊邪那美(いざなみ)2柱を祭る。“お伊勢参らばお多賀へ参れ”と歌にも歌われ“お多賀さん”と民衆に親しまれた。近江地方、現在の甲賀郡の薬売りが長寿延命の神徳(しんとく)絵解(えと)きしながら全国を売り歩いたことにより人々に知られ、後には多賀講という参詣組織が生まれるに至った。江戸時代には火災と再建を繰り返し、現在の社殿は昭和7年に再建されたもの。

滋賀県第一の大社。日本最古の書物「古事記」によると、この両神は神代の昔に、初めて夫婦の道を始められ、我国の国土、続いて天照大神をはじめとする八百万の神々をお産みになる。このように、命の親神様であることから、古くから延命長寿、縁結び、厄除けの霊神として信仰を集め、鎌倉から江戸時代にかけては、武家や民衆の信仰が一気に広まる。例えば、甲斐の武田信玄は25歳の厄年に際し、黄金2枚を寄進して厄除けを祈願し、太閤秀吉は母大政所の病気に際して「命の議、三カ年、ならずんば二年、げにげにならずんば三十日にても」と祈願文を寄せ、米一万石を寄進している。幸いに大政所は治癒され、その一万石で正面の太閤橋や奥書院庭園が築造されました。

本殿 延命石 奥書院庭園

延命石 鎌倉時代、重源(ちょうげん)80歳のとき、東大寺再建を自ら志し延命を祈願。満願(まんがん)(あかつき)に柏の葉に“莚”の字形の虫食い跡を発見、“廿年(にじゅうねん)延びる”と読み、勇気づけられ見事に東大寺の再建を果たしたという。その記念の石で、以来延命の信仰を集めた。また、柏の葉は多賀大社の神紋(しんもん)となっている。

※重源(11211206) 法然に浄土宗を学んだ。治承の兵火で荒廃した東大寺再建のため造東大寺勧進職につき、諸国を回って勧進につとめた。鎌倉初期の美術の発展、南都復興に大きく貢献。

奥書院庭園[名勝] 山を背に池を穿(うが)ち、出島や石橋を配し、右手に枯滝や蓬莱(ほうらい)の石組を置く。様式は桃山時代を伝えている。

◆お多賀杓子 “おたまじゃくし"の語源となったしゃもじ。養老年間(71724)元正(げんしょう)天皇が病の祈り多賀大社の斎火で強飯を炊き、神木のシデの木で作った杓子で(たてまつ)ったところ平癒(へいゆ)したという。以来、無病息災のお守りとして広まる。


伊邪那岐(いざなぎ)伊邪那美(いざなみ)(みこと)

 天と地が、混沌(こんとん)の中から別れ出た時、高天原(たかまがはら)に三神(天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)高御産巣日神(たかみむすひのかみ)神産巣日神(かみむすひのかみ))、ついで二神、あわせて五柱の別天神(ことあまつかみ)が現れ、さらに、国之常立神(くにのとこたちのかみ)から神世(かみよ)七代(ななよ)の最後の神、いのちを吹き込まれ、姿かたちもととのって、さあ互いに結婚しようと(いざな)い合う神が生まれる。男神は伊邪那岐(いざなぎ)、女神は伊邪那美(いざなみ)神。イザナギとイザナミは天沼矛(あまのぬぼこ)を授かり天地をつなぐ天浮橋(あめのうきはし)に立ち、その(ほこ)を下界へさしおろし、どろどろの中へ突っ込んで、潮がコォロコォロと鳴るばかり勢いよくかきまわし、引き上げた。すると、その矛の先からこぼれる(しずく)が積もり固まって淤能碁呂島(おのごろしま)ができたという。二神は島に降り立ち、天御柱(あめのみはしら)を立て宮殿を建てた。男神は女神に尋ねた。「君の体は、どんなふうにできているのか」「私の体はうまくできあがってきたけど、足りないところが一カ所あるのよ」「俺の体もうまくととのってきたが、あり余っているところが一カ所ある。俺の体の余った部分を君の体の足りないところへ刺し入れ(ふさ)いで、国を生もうと思う」御柱(みはしら)を男神は左から、女神は右から廻り結婚の儀式を行った。御柱を廻って顔を合わせたとき、女神の方が先に、「まあ、なんてすばらしい男なの」と男神より先にいったことで、不具(ふぐ)()ができた。天神(あまつかみ)の意見を聞き、再び天御柱を前のように廻り、男がさきに言葉をかけ二柱の神は結ばれ、八つの島を生んだ。イザナミはその他多くの神々を生んだのち黄泉(よみ)の国へと旅立つ。イザナギは妻を忘れられず、連れ戻すために黄泉の国へ向かう。イザナギが決して見てはならないという妻の姿は(うじ)がころころとわき、そして頭にも胸にも腹にも陰部(ほと)にも、手足にも、あわせて八種(やくさ)の雷神がとぐろをまいている姿。イザナギは恐怖で逃げた。それを黄泉醜女(よもつしこめ)が追う。イザナギは髪飾りの蔓草(つるくさ)をとって捨てると、それは、山ぶどうの実となり、角髪の(くし)の歯を折り欠いて、一本一本と捨てて行くと、それは竹の子となり、醜女(しこめ)がそれらを食べているあいだに、イザナギは逃げに逃げた。ついに現世と黄泉の国の境の黄泉比良坂(よもつひらさか)の麓、そこに桃の木があり、イザナギはその実を3個取って待ち構え、追っ手に投げつけ。すると、桃の持つ呪力(じゅりょく)にうたれ、黄泉醜女は退散したという。黄泉の国から逃げ帰ったイザナギは、(けが)れた身体の(みそぎ)をし、脱ぎ捨てたものから次々と神が生まれ、身体についてきた穢れからも神が生まれ、そして最後に左目を洗った時に天照大神、右目を洗った時に月読命(つくよみのみこと)、鼻を洗った時に須佐之男命(すさのおのみこと)という神が生まれた。……『田辺聖子の古事記』より

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