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【即成院】《泉涌寺塔頭》075(561)3443 fax075(551)3580

 平安後期、寛治年間(1089~94)修理大夫・橘俊綱が伏見山の南に建立した伏見寺の後身であるが、文禄年間(1592~94)秀吉の伏見城築城に当って深草大亀谷に移り、さらに明治8年現在地に再転したと伝える。俗に「那須与市さん」と呼ばれるのは、那須与市宗高がこの寺の本尊・阿弥陀如来を信仰し、屋島の戦いに武名を挙げたのに因み、祈願をすればたちどころに成就するという伝承に基づく。

■本堂 阿弥陀如来及び二十五菩薩坐像[重文・平安〜江戸]を本堂須弥壇に安置する。丈六の阿弥陀如来を中心とし、半等身の二十五菩薩を左右に配し、阿弥陀如来が観音・勢至をはじめ二十五菩薩を率いて極楽浄土から来迎するさまを彫刻化している。二十五菩薩のうち十一体が古く、他は江戸時代の補作。

◇二十五菩薩練供養 毎年10月第2日曜日に行われる。本堂を極楽浄土に見立て、境内の地蔵堂を現世になぞらえ、そのあいだに高さ2メートル余りの橋を架け、金襴の菩薩衣に菩薩面をつけた25人の児童達が、来迎和讃にあわせて盛大なお練を行う。

石造宝塔 本堂の裏にあり、平安時代の作と伝える。松香石製の一重の多宝塔で、笠石の軒は厚く、鎌倉時代の豪健な作風を示す。寺伝では那須与市の墓といわれるが、橘俊綱の墓とするのが正しいという。

伊藤甲子(かし)太郎(たろう) 即成院西側の墓地にある。本名は鈴木大蔵。幼少の頃、父の鈴木忠明が常陸国志筑藩を脱藩したため、一族が領外追放処分となった。水戸の金子健四郎に入門し神道無念流を学び、さらに北辰一刀流の伊藤精一に学んだ。伊藤精一の没後、遺言で娘と結ばれ伊藤姓を名乗り道場を継いだ。背が高く美男。水戸学の影響から尊王攘夷を唱えていた。後、新撰組に入隊したが、急進的な佐幕攘夷論者の土方歳三等と意見が合わず、新撰組を脱退したが、七条油小路で暗殺される。甲子太郎の遺骸は壬生墓地に埋葬されたが、維新後この地に改葬されたと伝える。

参考資料 昭和京都都名所図会 竹村俊則著より

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