京都観光タクシー同友会の観光案内
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貞観年間(859~77)清和天皇の勅願によって慈覚大師円仁が宮中禁裏内道場として創建。清浄な華の台を望むという意味から、清浄華院の名を賜ったという。はじめ天台四宗兼学、円(円教、天台のこと)・密(密教)・戒(円頓戒)・浄(浄土教)の四つの学問を学ぶ道場、かつまた国家泰平と天皇陛下のご健康を祈る鎮護国家の道場であったが、後白河法皇が法然上人を戒師として受戒されたことから、浄土宗に改めた。天正18年、移転を重ね現在の地に移る。その後、再々の火災にかかり、今の堂宇は天明の大火後の再建。法然上人25霊場の23番霊場。
■本堂(御影堂) 明治42年の再建。寝殿造り風の建物。本尊・法然上人像と清和・村上両天皇の尊像及び歴代天皇の尊牌を安置する。
■不動堂 不動明王を安置。この不動尊は、世に『身代り不動』として名高い。鴨長明が著わした『発心集』第六によれば、むかし僧証空が師の臨終にあたって身代りになろうとしたところ、日頃信仰する不動尊があらわれ、証空の誠心に感じ、『われまた証空の身代りに立つべし』といわれ、師の病難を救ったという。
◆紙本著色「泣不動縁起」[重文・室町]
上記の不動尊の霊験談をしるした縁起。
◆絹本著色「阿弥陀三尊像」[国宝] 中国宋時代寧波の画家・四明普悦の筆。日本に現存する南宋仏画の白眉とされており、国宝に指定。足利将軍家の珍蔵品であったとされ、室町時代の清浄華院の栄華を伝える逸品。
■墓地 後陽成・後水尾各天皇の皇子皇女の御墓をはじめ、織田信長に密旨をつたえた立入宗継、信長の皇居造営に協力した山科言継、猿ヶ辻で倒れた姉小路公知及び幕末に国事に奔走した玉松操等の墓がある。
■天明大火横死者墓 1788年(天明8)、宮川町の団栗辻子より出火した火は、折からの強風にあおられ、鴨川を超えて京都市中の大半を焼き尽くし、多くの被害者を出した。この塔は、この時の無縁被害者のうち、150人をここに葬ったと伝える。