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真正極楽寺(しんしょうごくらくじ)(真如堂(しんにょどう))《天台宗山門派》075-771-0915

真如堂の紅葉 2010年11月

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 「真如堂縁起」によれば、平安時代の984(永観2)、比叡山の戒算(かいざん)上人が一条天皇の母・東三条女院(藤原詮子)の御願により、もと延暦寺常行堂に安置されていた阿弥陀如来像を神楽岡の東にあった女院の離宮に移し、一宇の堂を営んだのが起こり。その地が仏法有縁真正極楽の霊地に因んで真正極楽寺と名付けたという。のち、応仁の兵乱に荒廃し、のちには幾度か寺地をかえたが、1693(元禄6)現在地に再建される。

本堂 鎌倉地蔵 元三大師堂

■本堂 1716~36(享保年間)の再建で、七間七面、単層、入母屋造、本瓦葺の大建築。俗に「真如堂」称されている。堂内に安置する本尊・阿弥陀如来像は、一木彫成の来迎院の立像で、来迎の弥陀立像中ではもっとも古いとされる。

◆阿弥陀如来立像 [重文] 藤原時代の作。頭振(かぶりふ)りの阿弥陀と称し、慈覚大師(じかくだいし)円仁(えんにん)自作の像と伝える大師がつくり終って、最後に眉間に白毫(びゃくごう)を入れようとし、修行者のための本尊とならせ給え」と祈ったところ、仏像は三回頭を横に振った。「しからば都に出て衆生、わけても女人を救い給うや」と問うたところ、三回うなずいたという。よって大師は生身の仏体であるとして、白毫を入れなかったという。

■三重塔 1817(文化14)の再建。方三間、屋根は本瓦葺。下層は中央を桟唐戸(さんからど)、左右連子窓(れんじまど)とし、内部に小多宝塔を安置する。各層ともに擬宝珠高欄付の塔。

■鎌倉地蔵 自伝によれば、天竺より中国を経て渡来した九尾の狐が、玉藻(たまも)の前と称する美女となって宮中に入り、ときの天皇を悩ませたが、陰陽師(おんみょうじ)阿倍晴明に見破られ下野国(しもつけのくに)(栃木)に逃れ討たれた。しかし、その悪霊は化して殺生石となり、死してのちも多くの人畜に被害を与えたという。この石のために斃れた死者の霊を弔うため、この地蔵尊を刻んだものという。久しく鎌倉の地に安置されていたのを、慶長年間に移したと伝える。因みにこの地蔵尊には、無実の罪におとされた人が祈願すると、その難を免れるという。

縣井(あがたい)観音 金銅製、約五寸の如意輪観音を安置する。もと京都御所御苑内にある縣井より出現された霊仏と伝える。

■新長谷観音堂 吉田山西麓にあった新長谷寺(吉田神社の神宮寺)の本尊・十一面観音立像を明治維新に際して移したもの。藤原山蔭(やまかげ)が大和国長谷寺の観音像を模刻したものと言われている。

◆書院庭園 

◆お十夜 毎年115~15日。室町時代、伊勢守・平貞経の子貞国は、若年よりふかく阿弥陀如来を崇敬し、出家の志が強かった。あるとき真如堂に参籠(さんろう)し、三日三夜の念仏を修した夜、夢中に高僧があらわれ、「さらに三日三夜延期すべし」との夢告をうけた。貞国が出家を思いとどまっていると、翌日父の隠居がゆるされ、貞国が家督を継ぐことを知らされたという。この話が後花園天皇の耳に達し、「それならば更に七日七夜、念仏をつづけよ」と仰せがあり、遂に十日十夜の法式を定めたという。真如堂のお十夜は天台宗寺院中、もっとも盛大に行われる。

◆寺宝 真如堂縁起三巻[重文・室町]や法華経六巻[国宝・平安]、大涅槃画像・刺繍観経曼荼羅図(海北友松(かいほうゆうしょう))等がある。

◆境内墓地 歌人冷泉為村、画家海北友松、中林竹洞・竹渓、望月玉泉、斉藤利三(さいとうとしみつ)、蜷川親長、儒者猪飼敬所、俳人向去来および三井家一族の墓がある。

斉藤利三墓 海北友松墓

※海北友松 安土桃山〜江戸時代初期の絵師。近江の湖北地区に生まれる。子は同じく画家の海北友雪。 浅井長政の家臣・海北綱親の五男として生まれる。禅門に入り、京の東福寺で修行。このときに狩野派を学ぶ。のち還俗し、海北家の再興をめざしたが、豊臣秀吉に画才を認められたことから武門を去り、晩年は画業に専念した。海北派の始祖。

※斉藤利三 明智光秀の家老。 美濃斎藤氏の一族。父は斎藤利賢、母は蜷川親順の娘。母を明智光秀の妹、光秀の姪にあたるとする説がある。1582(天正10)、本能寺の変で信長を討った後、山崎の合戦では先鋒として活躍するが、敗れて逃走した。その後、近江堅田で捕縛され、六条河原で斬首となった。享年49。ちなみに、娘の福(春日局(かすがのつぼね))は江戸幕府の第3代将軍となる徳川家光の乳母(うば)となる。

参考資料 昭和京都都名所図会 竹村俊則著より

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