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大報恩寺(だいほうおんじ)(千本釈迦堂)《真言宗智山派》075-461-5973

 1223年(貞応2)求法上人義空が釈迦念仏の道場として小堂を構え、本尊と十大弟子像を安置したのがはじめという。むかしは嵯峨釈迦堂と並んで釈迦信仰の中心をなしていた。はじめは倶舎・天台・真言三宗の道場となり、文永年間(1264~75)二世如輪上人の代には堂塔伽藍も完備した。1363年(貞治2)には足利尊氏の命によって涅槃講が開始され、それ以後、朝野の人々が聴聞に群集した。中世には兵火にかかって多くの堂宇を失ったが、幸い本堂と仏像が残り、今は文化財の宝庫。

大報恩寺本堂南西から 大報恩寺本堂正面 おかめ像
大報恩寺本堂南東から 霊宝館 霊宝館の鬼瓦

■本堂[国宝] 1227年(安貞元)の上棟。創建当初の建物で、京都市内では現存最古の鎌倉初期の遺構として極めて価値がある。外観は桁行五間、梁間六間、単層、入母屋造、桧皮葺とし、正面に一間の向拝をつけている。天井は外陣では化粧屋根裏、中陣は組入、内陣は折上小組格天井と三通りに区別し、中陣の天井周りに七宝つなぎの装飾があり、外観の簡素な構造に対して内部はよく配慮されている。

◆本尊・釈迦如来坐像[重文] 堂内須弥壇上の厨子内に安置。像高二尺九寸八分(約90.2cm)、寄木造、漆箔、玉眼入り、右手施無畏、左手与願の印をむすび、透彫りの唐草光背を負い、八角七重の蓮華座上に結跏趺坐する。「巧匠法眼行快作」の銘が体内にある。

十大弟子立像[重文] 霊宝館に安置。像高三尺(約90.8cm)、寄木造、玉眼入りの彩色像。「巧匠法眼快慶」の墨書銘がある像があり、快慶晩年の作品であることが知られる。しかし、すべてが同人の作ではないとおもわれる。

◆誕生釈迦仏立像[重文] 像高一尺七寸二分(約53cm)、銅造、右手は人差指をのべて天上を指し、左手も同じく地を指した半裸の童形。頭髪が嵯峨清涼寺の釈迦像と同じく、うずまきとなっているのが面白い。

◆千手観音立像[重文] 一木彫成の彩色像で、翻波式(ほんぱしき)衣文(えもん)は藤原時代前期の作風をよくあらわしている。当寺建立以前の古像であるが、伝来は不明。

◆六観音菩薩像[重文] いずれも寄木造、玉眼入り等身大で素木のまま。宋風の影響をうけて技巧をつくしている。准胝(じゅんてい)観音の胎内から1224年(貞応3)仏師定慶作の墨書銘が発見されたことから、鞍馬寺の観音立像とともに定慶の作品と判明。

■太子堂 室町風の小堂で、もと経王堂の遺材を用い、昭和29年に再建。

◆おかめ塚 本堂前の石造宝篋印塔。寺伝によれば、本堂創建時の大工棟梁高次は柱の寸法を切り誤って苦慮していたところ、妻の亀女の提言によって無事建物を成し遂げたが、しかし、亀女はそのことが世間に洩れては、棟梁としての夫の名声を傷つけるのを憂い、上棟式を待たずして自害した。この塔は高次が亡き亀女の冥福と本堂の安全を祈って建立したとつたえる。

おかめ節分会 2月の節分。前夜祭に厄除け祈願会、当日祭は各界の名士を招いて、おかめの福徳による鬼やらいなど古式伝統行事と大豆まきが行われる。

◇大根焚き 12月7〜8日。法要を営んだ後に集められた大根を加持祈祷した後、輪切りにして大鍋で煮込み参詣者へ大根をふるまう。中風除け、諸病除けとしてご利益がある。三世慈禅上人が大根の切り口を鏡に見立て、面に梵字を書き、諸病退散を祈ったことにはじまる。

参考資料 昭和京都都名所図会 竹村俊則著より

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