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【石峰寺】《黄檗系単立》075-641-0792

 平安中期の武将・源満仲が摂津多田郷に建立した石峰寺が起源と伝わる。1713年(正徳3)、黄檗宗・万福寺の六世・千呆(せんがい)(中国明の人)によって現在の地に移す。江戸中期の創建時は諸堂も有する大寺であったが大正15年(1915)、昭和54年(1979)に失火し、現在は本堂、竜宮造りの赤門などを残すのみ。本堂背後の山中には多くの石仏が並び、これらは、江戸中期の※画家・伊藤若冲(じゃくちゅう)が石峰寺の七代住職・蜜山(みつざん)の協力を得て下絵を描き、6〜7年余の歳月をかけて石工に彫作させたと伝わる。また、伏見七福神(福緑寿/延命・安泰の神・長建寺参照)の一つであったが、昭和32年頃廃絶したという。

石峰寺参道 石仏五百羅漢 1 石仏五百羅漢 2
石仏五百羅漢 3 石仏五百羅漢 4 石仏五百羅漢 5

本堂 昭和60年(1985)の再建。本尊・釈迦如来像を安置する。

石仏五百羅漢像 石造釈迦如来像を中心に十大弟子・五百羅漢・禽獣魚鳥などを配し、釈迦の誕生より涅槃(ねはん)に至るまでの一代を表現しているという。その表情はいずれも奇抜軽妙、一種の洒脱味があって、見るものをしてほほえましめるものがあり、石仏群として非常に有名。

伊藤若冲(じゃくちゅう)墓 境内墓地にあり、墓石表面に「斗米庵(とべいあん)若冲居士墓」としるし、その右に貫名海屋の撰文になる筆塚がある。その号“斗米庵(とべいあん)”というのは、米一斗で絵を描いたからだという。

※画家・伊藤若冲(1716〜1800)⇒錦小路の青物問屋に生まれ自ら「平安錦街居士」と称した。のち黄檗禅に興味を持ち、煎茶を修行の手段としたことで知られる売茶翁(ばいさおう)とも親しく、黄檗山万福寺20世伯c(はくじゅん)に参禅し、その師千呆(せんがい)の関係で石峰寺門前に住むようになったらしい。石峰寺の一大石仏群は石峰寺7代住職密山和尚の強力を得て、妹の真寂と二人でここに庵をむすび、6〜7年かかって作りあげたといわれている。画風は宗達・光琳派に属し、花鳥、とくに“鶏”を得意とし、中国の写生画の影響もうけているといわれている。また、相国寺の大興禅師のもとでも参禅し、無欲枯淡の人生を好んだ。2000年、京都国立博物館で開催された、「こんな絵かきが日本にいた」若冲展は、非常に入場者が多かったと聞く。近年、2016年は生誕300年展が各地で開催された。

売茶翁(ばいさおう)(1675-1763) 江戸中期の禅僧。肥前の人。俗姓、柴山。僧号、月海。(いみな)は元昭。黄檗山万福寺に学ぶ。京で煎茶を売り、風流の客と交わったのでこの名がある。晩年還俗(げんぞく)して高遊外と称した。著「梅山茶種譜略」

◆写真撮影禁止 2012年、写真家を名乗る人が連れたグループが撮影会と称し、石像に帽子をかぶせたりロウソクを点けたりして柵内に入ったりしたため、石像保存の観点より現在はスケッチ・写真撮影が全面的に禁止されている。


参考資料 昭和京都都名所図会 竹村俊則著より

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