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【晴明神社】《祭神・安倍
1007年(寛弘4)、一条天皇の命により晴明の屋敷跡である現在の場所に創建。晴明はわが国陰陽道の始祖として仰がれる。創祀以来、朝野の崇敬を得たが、応仁の乱後、幾多の戦禍によって社運は衰微した。昭和25年、多年の宿望であった堀川通に面するよう、境内地が拡張された。近年は、漫画、映画などを通じて晴明の存在は広く知られ、全国にその崇敬者を集める。2003年(平成15)には、御鎮座壱千年祭が斎行された。現在の本殿は昭和3年の再建。
晴明神社鳥居 | 一条戻橋(昔の欄干) | 晴明井 |
本殿 1 | 本殿 2 | 社務所 |
■安倍晴明(920-1005)
…晴明神社公式HPより
■一条戻橋 平成7年に架け替えられ、源頼光の四天王のひとり、渡辺綱が鬼女の腕を切り落とした場所としても有名。晴明の父の保名が蘆屋道満に殺害された場所であり、晴明が呪法を駆使して保名を蘇生させた場所でもある。晴明は二人の式神を、この橋の下に隠していた。また、現在でも「戻る」を嫌って嫁入りや葬式の列は、この橋を渡らないのが習わし。先代の橋で使われていた欄干の親柱を境内に移し、昔の風情をそのままに「一條戻橋」を境内に再現している。
■式神 陰陽師が使う精霊で、人の目には見えない。晴明の奥さまが怖がって式神を橋の下に封じ込めていたという。その折には、式神がこの橋を渡る人の占い、つまり、橋占をしていたと伝えられている。
■晴明井 晴明が念力により湧出させた井戸。病気平癒のご利益があるとされ、湧き出す水は現在でも飲める。水の湧き出るところは、その歳の恵方を向いており、吉祥の水が得られる。恵方は毎年変わり、立春の日にその向きを変える。
■厄除桃 古来、中国また陰陽道では、桃は魔除け・厄除けの果物。『古事記』や『日本書紀』などでも魔物を追い払う様が描かれている。昔話、「桃太郎」もこれに由来するもの。この桃に撫で付ければ、清々しい気持ちになる。
■ご神木 樹齢推定300年の楠。楠は、かつて虫除けなどに使われる樟脳の原料。両手をあてて大樹の力に触れることができる。
■千利休屋敷跡 江戸時代の茶書によれば、当神社の境内に当たる「葭屋町通元誓願寺下ル町」に、千利休の屋敷があったとされ、利休の遺徳をたたえ茶道・武者小路千家家元が石碑を奉納。正面には、千宗守家元筆の「千利休居士聚楽屋敷趾」の文字。境内の「晴明井」の水は、利休が利用したといわれている。
■説・安倍晴明の出身地 大きく分けて3つの説があり、大阪、讃岐、茨城。この中で有力なのは、大阪説。『葛乃葉伝説』によれば、晴明の父は大阪市阿倍野区阿倍野の出身とされている。「いまから千年以上昔、阿倍野に安倍保名という男が住んでいました。あるとき、和泉の信田明神にお参りをすませて帰ろうとした保名の元へ、狩りで追われた白狐が逃げてきて、これをかくまってあげました。その後、白狐は女の人になって、保名のところへ来ます。名前は葛乃葉と名乗りました。ふたりは結婚して阿部神社の近くに住み、やがて子供が生まれ、安倍童子(晴明の幼名)と名付けました。」としるされている。
狐は古来、霊力を持った動物として崇められており、白狐であった母親を持つ晴明は、天才陰陽師として君臨することになる。晴明が阿倍野の出身というのは、安倍晴明神社(大阪市阿倍野区)の記録として残っている。
■晴明の才能 人に見えない鬼を見たことがある。鳥が話す言葉が分かった。龍宮城に行ったことがあるなどの言い伝えがある。また、『今昔物語集』では、こんな記録が残っている。「陰陽師の賀茂忠行のお供で出かけたとき、晴明は恐ろしい鬼たちが自分達に向かってやってくるのに気付きました。晴明は、牛車のなかで眠っていた忠行を起こし、術を使って隠れ、命を取り留めることができたという。」その後、忠行は晴明の才能に惚れ込み、陰陽道の奥義のすべてを教え込んだ。
■陰陽師とは 陰陽師には、二面性があるとされる。一つは中国伝来の陰陽五行説によって天体を観測して暦を作成する科学者的側面。そしてもう一つは、式盤を使って吉凶を占ったりして、また、式神(陰陽師の意のままに動く鬼神)を自在に操る呪術師的な側面があるという。
■晴明墓所 清滝道三条東入ル小川を渡り、すぐを北へ、二筋目東へ北側。車での場合、道が非常に狭いので注意すること。
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