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【清閑寺】《真言宗智山派》075-561-7292

 802年(延暦21)、天台宗の寺として創建され、一条天皇(在位986〜1011)の時代、佐伯公行よって再興されたという。かつては清水寺と並ぶ大寺であったが、応仁の乱灰燼(かいじん)に帰し、今では本堂などがあるのみである。「平家物語」のヒロイン、小督局(こごうのつぼね)が23歳のときここで出家し、庵を結んで死んだと伝える。桜や紅葉の美しさから古今の歌人によって清閑寺にちなんだが数多く詠まれている。

本堂 菅原道真が梅樹で彫ったと伝わる十一面千手観音像を安置する。

要石(かなめいし) 庭は広くはないが、前方に大きな石があり、この位置からを開くように京都市街が見える。丁度扇の要の位置に当たることから要石(かなめいし)と呼ばれ、この石に願いを掛けると叶うという信仰がある。昔は山科方面から京に出るときはこの付近を通り、ここで京の都が見えるので一つの名所になった。

小督局供養塔(くようとう) 21歳で世を去った高倉天皇が葬られたのは清閑寺に近い場所。小督はその近くに庵を結んで生涯にわたり天皇の菩提(ぼだい)(とむら)い44歳でこの世を去ったといわれ、今に残る宝筺印塔(ほうきょういんとう)が小督の墓と伝わる。

歌の中山清閑寺 清閑寺から清水寺までの小径は、かつて歌の中山と呼ばれた諷詠(ふうえい)の地で和歌や古典文学に名高い。

清閑寺焼 この付近は京都の陶磁器のもととなった場所で、8世紀初頭に窯ができ、これを発展させ清水焼が生まれ、続いて粟田焼が生まれた。さらにこの二つの流れから京焼が生まれたといわれている。

高倉天皇陵 高倉天皇は後白河天皇と平清盛の妻・時子の妹・滋子の間に生まれた。父、後白河の意志により、1166年(仁安元)6歳で立太子。2年後、六条天皇の譲位を受け即位。11歳のとき、清盛の娘・平徳子(建礼門院)が17歳で入内(じゅだい)して安徳天皇を生む。しかし、高倉天皇は21歳で薨去(こうきょ)、陵墓は清閑寺の北側にある。

小督局(こごうのつぼね) 平家物語の巻六「小督」に登場。中納言・藤原成範の娘で宮廷一の美貌、琴の名手とも云われた女性。高倉天皇の寵愛(ちょうあい)を受けるが、中宮・徳子より先に天皇の子供を宿したことで、平清盛の怒りを招く結果となり、清盛は無理矢理に小督の髪を剃り出家させたという。

参考資料 昭和京都都名所図会 竹村俊則著より

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