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【三千院】《天台宗門跡寺院》075-744-2531

三千院の紅葉 2010年11月

2010-11-12 三千院参道 2010-11-12 三千院参道 2010-11-13 瑠璃光庭の紅葉
2010-11-12 往生極楽院前 2010-11-12 往生極楽院前 2010-11-12 西方門前の紅葉
2010-11-26 2010-11-26 2010-11-26

三千院の石楠花(シャクナゲ) 2011年4月

2011-4-29 2011-4-29 2011-4-29
2011-4-29 2011-4-29 2011-4-29

 伝教(でんぎょう)大師(だいし)最澄(さいちょう)が比叡山に庵を結んだ時、東塔(とうとう)南谷に一堂を建立したのが起こり。後、滋賀県坂本梶井に伽藍を移し、代々法親王が住持し、梶井御殿・梨本門跡と呼ばれる門跡寺院となった。応仁の乱の後、梶井宮の政所であった現在の地を一時仮御殿としたが、明治維新までは現在の府立病院に御殿を構えていた。妙法院、青蓮院、曼殊院、毘沙門堂(びしゃもんどう)とともに天台宗五箇室門跡のひとつとして歴代の天台(てんだい)座主(ざす)を輩出してきた。 

山門 冬の聚碧園 秋の聚碧園
夏の聚碧園 清浄水 宸殿から瑠璃光庭を臨む

(きゃく)殿(でん)(書院) 天正年間(157392)、豊臣秀吉の禁裏(きんり)修理の余材をもって建立されたと伝えられる。現在の建物は大正初年に補修され、内部各室の襖や杉戸には(いま)()(けい)(ねん)・望月玉泉・鈴木松年(しょうねん)・菊地芳文(ほうぶん)・竹内(せい)(ほう)など、当時の京都の画壇を代表する画家たちによって飾られている。

聚碧園(しゅうへきえん) 客殿の池泉鑑賞式庭園。金森(かなもり)宗和(そうわ)の修復といわれている。

宸殿(しんでん) 昭和元年に再建、()(せん)(ぽう)(こう)(罪過(ざいか)懴悔(ざんげ)するために修する法)などの法儀をとりおこなう三千院の中で最も重要な建物。内陣には本尊・薬師瑠璃光如来(伝・最澄作)を安置。玉座(ぎょくざ)は「虹の間」とも呼ばれ、下村(しもむら)観山(かんざん)が描く虹が有名。七彩の虹には赤がなく、前庭の紅葉がそれに代わるという。

()()(こう)(てい) 宸殿から往生極楽院に通じる苔庭(大正期)

往生極楽院 朱雀門 わらべ地蔵
アジサイ園 不動堂 観音堂

往生(おうじょう)極楽院(ごくらくいん)(本堂)[重文] 1148年の建立。もと三千院の境外(けいがい)仏堂であったが、明治に本堂となる。阿弥陀三尊坐像[国宝]を安置し、天井は舟底形(ふなぞこがた)。舟底の天井は小さなお堂に大きな仏像を納めるために工夫されたもの。天井や柱・長押(なげし)はかつて極彩色の装飾であった。かつては国宝指定されていたが、再調査のおり、江戸時代の修復等で旧態を失っていたため、現在は重文。

◆阿弥陀三尊坐像[国宝] 藤原時代を代表する仏像。三尊の姿は弥陀の来迎を表したもの。(きょう)()の観音・勢至菩薩は大和(やまと)(すわ)(正座)で珍しい。

(ゆう)(せい)(えん) 往生極楽院の周囲の池庭(江戸期)

◆阿弥陀石仏 「大原の石仏」といわれ、鎌倉時代の作。

声明(しょうみょう)発祥(はっしょう) 大原は声明発祥の地。声明は(ぼん)(ばい)ともいい、ふしをつけて唱えるお経のこと。民謡などの日本音楽に大きな影響を及ぼし、その原型ともいわれている。三千院を南北にはさんだ川は南を()川、北を(りつ)川といい、声明の音律、(ろれつ)にちなんで命名。「ろれつがまわらない」の「ろれつ」は呂律。

参考資料 昭和京都都名所図会 竹村俊則著より

阿弥陀石仏 秋海棠 07_9_18
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