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【槙尾西明寺】《真言宗大覚寺派》075-861-1770
天長年間(824〜834)、弘法大師の高弟・智泉大徳が神護寺の別院として創建したのに始まる。荒廃後、建治年間(1275〜1278)に和泉国槇尾山寺の我宝自性上人が再興。1290年(正応3)に平等心王院の号を後宇多法皇より命名賜わり、神護寺より独立した。さらに、永禄年間(1558〜1570)に兵火にあって焼亡したが、慶長七年(1602)に明忍律師により再興。現在の建物は元禄年間(1688〜1704)に徳川5代将軍綱吉の生母・桂昌院の寄進により再建されたもの。
■表門 薬医門で、本堂と同じ1700年(元禄13)の造営。西明寺の元禄造営の一連の建造物として貴重。
■本堂 元禄13年(1700)に五代将軍徳川綱吉の生母・桂昌院の寄進により再建。中央間が内陣で、後方に四天柱を建て、逆蓮擬宝珠付きの唐様須弥壇には厨子が奉安されている。両横の脇陣の役割を果たしており、真言宗寺院の本堂としては特異な平面である点に特色が見られる。正面入口の梁上に「霊山鷲心」の額が掲げられている。
◆釈迦如来像「重文」 本堂正面の須弥壇上の厨子内に安置されている本尊。鎌倉時代、仏師運慶作と伝える。清涼寺式釈迦如来像で生前の釈迦如来の面影を伝えているといわれている。
◆千手観世音菩薩像「重文」 本堂の脇陣に安置。平安時代の作。頭上に十面を敷き、宝冠をかぶり、合掌する真手を含め四十二手の千手観世音菩薩像。細面で鼻筋が通った繊細な顔立ちをした立像、慈悲の力を持って衆生の苦しみを救おうと信仰されている。
◆愛染明王像 本堂の脇陣に安置。鎌倉時代後期に慶派に連なる仏師によって彫られた明王像。五鈷を戴く獅子冠を頭上に乗せ、開口して牙先を現わし、六臂の各手に法具や弓箭等を執って座っている。我宝自性上人の念持本尊で、愛の力を授かるとして古来、多くの人々に拝まれてきた。
■客殿 本堂の左方に接近して建ち、本堂左後方と短い渡り廊下で結ばれている。造営は本堂より古く、江戸時代前期に移築された。当時は食堂と称し、僧侶の生活や戒律の道場として使用されていた。前列二室、後列三室からなり、前列南室には、慶長および元和年間に三度にわたって制定された九ケ条からなる「平等心王院僧制」の木札が掲げられている