京都観光タクシー同友会の観光案内
【西芳寺(苔寺)】《臨済宗単立》TEL
075-301-3631
奈良時代の僧行基の開創と伝えられ、当初は法相宗寺院で「西方寺」と称した。室町時代の1339年(暦応2)年に夢窓国師が中興開山し、名も西芳寺と改めた。北朝初代の光厳天皇などの行幸があり、足利義満・義政も来遊して、その林泉を賞したという。とりわけ義政は東山殿銀閣を営むにあたって、当寺の庭に範を求めたという。その後、応仁の乱や洪水のために荒廃し、苔の生えるままに放置された庭となり、これが苔庭の起こりとなる。1977年から拝観は往復はがきによる事前申込制。世界遺産。アップルの創業者であるスティーブ・ジョブズは、お忍びで家族とともに西芳寺をよく訪れていたという。
■本堂(西来堂) 1969年の建築で、本尊阿弥陀如来を安置する。襖絵は堂本印象の筆である。
■少庵堂 千少庵の木像を祀る。1920年の建築。
■庭園[特別名勝・史跡] 黄金池を中心とした池泉回遊式庭園と、本堂背後の山腹を利用した枯山水庭園との上下二段からなっている。下部の庭園は、心字形をした池中に朝日島・夕日島など四つの島と八つの橋を配し、林間のみどりとよく調和した幽邃閑雅な庭園である。池の周囲を埋め尽くす100種類以上といわれる苔は夢窓疎石の時代からあったものではなく、今のような苔庭になったのは江戸時代も末期のことといわれる。境内北方には上段の枯山水庭園の石組みが残り、この部分には夢窓疎石当時の面影が残っていると思われる。
■影向石 黄金池の西南隅、黒木の鳥居を前にした一個の石をいう。松尾明神降臨の地といわれ、今なお当時の鎮守とあがめる。
■湘南亭[重文] 夢窓疎石の時代に建てられ、その後荒廃していたが、千利休の次男・千少庵が再建した桃山時代の代表的な茶室。入母屋造り、杮葺の本家と同じく切妻造りの待合・廊下よりなっている。池に面した板張りの広縁は露台とし、天井は土で塗りかため、その奥に四畳台目の茶室を設ける。この茶室は来客本位のものではなく、亭主の書斎兼茶室とした小住居ともいえる。幕末には岩倉具視がここにかくまわれていたことで知られている。
■朝日の清水 湘南亭畔の岩角よりほとばしり出る清水をいい「夕日の清水」とともに黄金池の水源をなしている。
■潭北亭 1928年、陶芸家の真清水蔵六から寄進された茶室。「湘南亭」「潭北亭」などの建物の名勝は中国の禅書『碧巌録』に出てくる句に因む。
■夜泊石 本堂の東の池中に二列に並ぶ十五個の石をいう。港に停泊する舟の姿を表現したものといわれるが、一説にむかしの渡り廊下の礎石とも。
■指東庵・枯山水庭園 観音堂背後の洪隠山の中腹にある。明治11年(1878)再建された開山堂で、堂内には夢窓国師の像を安置する。この指東庵付近に展開する上部庭園は、石組を主とした枯山水庭園で、前方平坦地の中央には亀島をあらわした一群の蓬莱山式の石組があり、指東庵の右手上方にみえる枯滝組は、豪放な石組によって三段の滝組に構成されている。またその左手にある竜淵水・坐禅石などの石組も、旧指東庵の前庭につくられていた井泉のあと。
■夕日の清水 当寺の閼伽井。4月19日に行われる嵯峨釈迦堂のお身拭式には、この井水を用いる。
■三重納経塔 1978年建立の三重塔で、信者の写経を納めている。本尊は薬師如来である。
〼作庭家・重森三玲氏「苔寺について」
〼枯山水は古墳から! 『作庭記』より
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