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【西大寺】《真言律宗総本山》℡0742-45-4700
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※叡尊→1201~1290大和郡山生まれ。律学の復興を願って西大寺で※自誓受戒し、街頭で法を説き、鎌倉幕府に招かれた。西大寺を根本道場として諸堂を再建、中興の祖と仰がれる。※自誓受戒→受戒とは、戒壇と呼ばれる場で、十人の僧の立ち会いのもとに、戒を守ることを誓う儀式。自誓受戒とは、仏の前で自ら戒を受ける作法で、叡尊は若いころにすでに東大寺の戒壇で受戒していたが、形式だけの受戒をよしとせず、仏から直接に正しい戒を受け、それを広めようとした。叡尊は受戒を中心とする布教活動で多くの信者を獲得、約十万人の人々に戒を授けたという。
■本堂[重文] 現在の西大寺の中心堂舎。1752(宝暦2)年の建立。桁行七間、梁間五間、一重の寄棟造で本瓦葺。堂内は東西南の三方の外陣と内陣を仕切り、内陣北の中央に須弥壇、東西に脇壇を設ける。土壁を全く使わない特異な密教建築で奈良市屈指の巨大な近世仏堂。
◆釈迦如来立像[重文] 本堂の本尊。1249(建長元)年叡尊の願によって仏師善慶以下善派仏師9人が京都嵯峨の清涼寺にある釈迦如来像を模刻した木彫像。清涼寺式の特長をよく写している。
◆文殊菩薩騎獅像[重文] 本尊の左脇に安置。善財童子らの眷族を率いて海を渡る渡海文殊の群像を構成する木造彩色像。叡尊十三忌の1302(正安4)年作。
■東塔跡 続日本紀によれば称徳天皇は瑠璃瓦葺の八角七重塔の造営を企画、途中で四角五重に変更された。創建当初は南大門のうちに高さ15丈の東塔・西塔(基壇は失われている)が並んでいたという。これらの造営は、称徳天皇と弓削道鏡が全力を注いだ大事業であったが、称徳天皇が亡くなり、道鏡が失脚すると、西大寺は急速に衰える。後、叡尊は東塔を中心とする宝塔院という区画を西大寺復興伽藍の中核とした。その東塔も1502年に焼亡し、その後は再建されないまま塔跡のみが遺る。
■愛染堂 1767年(明和4)、京都の近衛政所御殿を江戸時代に移築したものといわれる。寝殿造風外観の公家邸宅建築を仏堂とした建物。秘仏愛染明王を祀る。建築の中央が愛染堂、北側は客殿(狩野派の襖絵あり)、南側は霊牌堂(歴代先師尊霊の位牌をまつる)で非公開。1月中~2月上旬、10月末~11月中旬の期間だけ堂内諸仏を拝観できる。
◆愛染明王坐像[重文] 愛染堂の本尊。1247(宝治元)年、叡尊が仏師善円に作らせた鎌倉再興期の作。1281(公安4)年の蒙古襲来のとき、叡尊の祈願に応じて一矢を放ち、敵を降伏させたという伝説がある。
◆興正(叡尊)菩薩坐像[重文] 愛染堂に安置する鎌倉肖像彫刻の秀作。像高1m、木造、像内に多数の納入品(叡尊の父母の遺骨など)があり、1280(公安3)年叡尊80歳のとき弟子たちが仏師善春に作らせた寿像と判明。
◆十二天像12幅[国宝] 密教の護法神である十二天を画いた画像。全体に絵具の剥落・退色が目立つが、現存遺品の少ない平安時代前期、9世紀の仏教絵画の大作として貴重。我が国最古の十二天像。奈良国立博物館に6幅、東京と京都の国立博物館に3幅ずつ寄託されている。
◆金銅透彫舎利塔[国宝] 叡尊感得の舎利を祭るといわれ、竜・牡丹・宝相華など高肉彫を、唐草模様に配した鎌倉中期の華麗な工芸品。高さ37cm。
■四王堂 江戸前期の1674年(延宝2)の再建。桁行3間、梁間2間、寄棟造の身舎の四周に裳階を廻らし二重風の建築となっている。西大寺創建の端緒となった称徳天皇誓願の四天王像をまつるお堂。堂舎周囲の版築基壇は創建当初の規模を伝えている。鎌倉時代の1289年(正安2)亀山上皇院宣で鳥羽上皇の御願寺であった京都白河十一面堂院の本尊・十一面観音立像(仏師・圓信作)が客仏本尊として当堂に移されてまつられることとなり、それ以来、観音堂とも称する。現在の四天王像も鎌倉期以降の再造であるが、その足下に踏まれた邪鬼が奈良時代創建当初の姿を伝えている。
◆四天王立像[重文] 称徳天皇の願によって造立された創建当初唯一の遺品。たびたびの火災で体躯を失い、多聞天の脚部と四天が踏まえる邪鬼だけが天平時代のもの。多聞天は木造、のこり3躯は銅造で平安時代の作。
◆十一面観音立像[重文] 平安時代後期の作。
■聚宝館 昭和35年、収蔵庫として建設。寺内の什宝物を保管収蔵している。(開館期間:1/15~2/4、4/1~5/31、10/25~11/15)
〼大茶盛り 毎年1・4・10月に行われる。直径30センチ以上、重さ6〜7キロの大茶碗と長さ35センチの茶筅でお茶を立て、参拝客にふるまわれる。叡尊が西大寺の鎮守八幡宮に茶を奉納し、余服を民衆に振る舞ったことに由来する。「戒律復興」をめざした叡尊上人が不飲酒戒の実践として酒盛の代わりに茶盛としたことと、「民衆救済」の一貫として当時は高価な薬と認識されていた茶を民衆に施すという医療・福祉の実践という二つの意義によって、八百年近く連綿と受け継がれてきた宗教的茶儀。
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