京都観光タクシー同友会の観光案内
【離宮八幡宮】《祭神・
社伝によれば、貞観元年(859)僧、行教が豊前国宇佐宮より八幡神を勧請した際、神霊がしばしこの地にとどまり、翌年男山にうつしたといわれる。かかる由縁により、のち社殿を造営し、河陽離宮跡に因んで離宮八幡宮と称した。創祀以来朝野の崇敬あつく、足利義満は神領地を広大な地とさだめ、江戸時代には禄高930余石を与えられ、守護不入の地とされた。とくに当社の祠官が油を作って灯明料としたことから、油司の口宣を賜り、鎌倉時代以降、近世初頭に至るまで全国の油座の長として、油の製造販売権を独占した。それがため往時は社殿も荘厳を極めたが、元治元年(1864)の兵火にかかって焼失し、後東海道線の敷設によって境内を中断され、規模を縮小した。
■本殿 社殿は昭和4年(1929)後の再建で、本殿には応神天皇・酒解大神・田心姫命・市杵島姫命・湍津姫命の五座を祀る。
■資料館 350点に及ぶ八幡宮文書(重文・鎌倉〜江戸)を有する。
■かしき石 離宮八幡宮の南には淀川が流れ、嵯峨天皇の河陽宮のあった頃には山崎橋がかかり河岸に相応寺、橋の上流には山崎津(港)がありました。かしき石はその相応寺の塔の心礎であるといわれています。舎利器を納める為の二重の穴が刻まれていたものを後に小鉢として利用する為扇形に彫り広げられたものだと考えられています。
■河陽離宮跡 離宮八幡の地と推定。ここには駅馬を置いて人馬の継立、宿舎食料の供給などを取扱う山崎駅があって、嵯峨天皇は水無瀬や交野遊猟に際し、山崎駅を宿舎とされたが、これを改め離宮とした。
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