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【乙訓寺】《真言宗豊山派》075-951-5759

乙訓寺の牡丹(ボタン) 2011年5月3日

 推古(すいこ)天皇の頃の(かい)(そう)と伝える。785(延暦4)年、藤原(たね)(つぐ)暗殺事件に連座した桓武天皇の弟・早良(さわら)親王(しんのう)が幽閉されたことで知られる。また、弘法大師が811(弘仁2)年、乙訓寺の別当(べっとう)(統括管理の僧官)に嵯峨天皇から任命され、この寺に在住した。その後、宇多法皇が行宮としたが、応仁の乱後、荒廃。現在の建物は、徳川五代将軍綱吉の母・(けい)昌院(しょういん)の庇護によって復興。牡丹の寺として有名。

弘法大師と伝教大師】 弘法大師と同時に入唐(にっとう)、大師よりかなり早くに帰国していた最澄は空海をこの寺に訪れ、真言の法を教えてほしいと頼み、大師は親切丁寧にその法を伝授したという。在唐期間の短かった最澄はその後も再三空海との交流を深め、二人はそれぞれ真言宗(弘法大師)、天台宗(伝教大師)を確立、それまでの日本仏教の流れに大きな変革を与えた。日本の仏教が大きな発展を遂げる要因をつくった。

早良(さわら)親王(しんのう)】 早良親王は桓武天皇の実弟で、皇太子であったが、長岡京遷都の翌、延暦4年(785)建都の長官・藤原種継が暗殺された。暗殺団と見られた一味と交流のあった早良親王は乙訓寺に監禁された。親王は身の潔白を示すため断食されたが、10余日後、流罪処分となり淡路島に護送途中、淀川べりで絶命、遺骸はそのまま送られ、淡路に葬られた。その後、天皇の母、皇后の死、皇太子の重病が続き、悪疫の流行、天地異変が発生した。この事件は「怨霊のたたり説」が流布され、都を恐怖のどん底に陥れたという。朝廷は事件15年後に早良親王を復権、()(どう)天皇と追号(ついごう)し、陵墓を奈良に移すなど措置を講じた。

本尊・合体大師像】 秘仏。この寺で永年、お参りの人々に授けられている厄除け札のお姿だと信じられている。

【牡丹】 長谷寺から寄進された2株が最初で、現在2,000株の牡丹が4月下旬咲き乱れる。江戸期、長谷寺で修学、乙訓寺を中興した隆光が持ち込んだ?

今里の弘法さん】 京都・東寺を埋める毎月21日のご縁日と年初の初弘法と12月の終い弘法。それに似たような風景があり、特に春の彼岸は中日が大師の(しょう)御影(みえ)()の3月21日と重なることもあって賑わう。

四国八十八ヵ所霊場お砂踏み お彼岸の中日、寺では大師の霊場「四国八十八箇所お砂踏み」が催され、善男善女が法楽の一日を過ごす。

【重文】 毘沙門天立像

参考資料 昭和京都都名所図会 竹村俊則著より

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