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京都観光タクシー同友会の観光案内

園城寺(おんじょうじ)(三井寺)《天台寺門宗総本山》077-522-2238

 壬申(じんしん)の乱で近江朝廷を(ひき)いて敗れた大友皇子(おおとものおうじ)の子、大友与多王(おおとものよたおう)の建立と伝える。天智(てんじ)天武(てんむ)持統(じとう)の3帝が産湯(うぶゆ)にしたという霊泉があり、“御井(みい)の寺”と呼ばれていた。859(貞観元)年智証大師円珍(ちしょうだいしえんちん)が延暦寺の別院に改め、法儀に御井の水を用いたことから“三井寺”と称するようになる。円珍の死後、比叡山で円仁派と円珍派の間に抗争が起こり、叡山の山門派に対して三井寺を本拠にした円珍派を寺門派(じもんは)といい、山門と寺門の対立が続いた。源平や南北朝の戦乱により、たびたび焼き討ちに遭い、また、豊臣秀吉によって寺領の没収と堂宇の破壊がなされたものの、北の政所や徳川氏によって再建。最盛期には850坊の堂塔坊舎を数えたという。近江八景の一つ、三井の晩鐘(ばんしょう)で有名。西国三十三所14番札所でもある。

大門 本堂 閼伽井屋
鐘楼 銅鐘 一切経蔵
三重塔 唐院 観音堂

大門(だいもん)[重文] 室町時代の楼門で、石部町(じょう)楽寺(らくじ)(西寺)から移築された。左右に運慶作という仁王像を安置する。

食堂(じきどう)[重文] 清涼(せいりょう)殿(でん)の一部を移したといわれ、室町時代の建築。清涼寺式釈迦如来を安置しているため釈迦堂ともいう。

金堂(こんどう)[国宝] 元の金堂は信長叡山焼き討ちの後、秀吉が西塔(さいとう)釈迦堂として移したため、1599(慶長4)年秀吉の正室北の政所が再建。桃山建築とはいえ、内部は延暦寺根本中堂と同じく、内陣が外陣より低い土間になった天台寺院建築構造となっている。本尊は弥勒菩薩(みろくぼさつ)

閼伽(あか)井屋(いや)[重文] 格子戸の奥の岩組の間から水が湧き出ており、この“御井”から寺名が生まれた。建物は1598(慶長3)年の造営、向唐破風(むかうからはふ)をのせ、上部に左甚五郎作と伝える、竜の優れた彫刻を施している。

◆銅鐘[重文] 霊鐘堂に保管。平安時代の古風な鋳造の鐘で、弁慶の引摺鐘(ひきずりがね)として有名。俵藤太秀郷(たわらのとうたひでさと)百足(むかで)退治のお礼に竜宮から持ち帰った鐘を寄進。その後山門派との争いで叡山の弁慶が奪って山へ引きずり上げてしまったが、鐘は寺へ帰りたがり“イノー、イノー”と響くため、怒った弁慶は谷に落としてしまった。このため破れ鐘となってしまい、寺に戻ってもならなくなったという。

鐘楼(しょうろう)梵鐘(ぼんしょう)[重文] 梵鐘は1602(慶長7)年引摺鐘を模鋳した。この鐘による音色は“三井の晩鐘”として名高く、日本三名鐘の一つ。他に形の平等院、銘の神護寺。

一切経蔵(いっさいきょうぞう)[重文] 宝形造(ほうぎょうづくり)の唐様建築で1602(慶長7)年毛利輝元が山口県国清寺から移した。内部は一切経を納める輪蔵があり、中心軸で回転できる。

三重塔[重文] 1597(慶長2)年、豊臣秀吉が奈良県の比曽寺(ひそでら)の塔婆を伏見城内に移したもので、1601(慶長6)年、徳川家康が現在の地に移建した。

唐院(とういん)4棟[重文] 智証大師円珍(ちしょうだいしえんちん)の御廟。三井寺ではもっとも神聖な場所。四脚門・灌頂堂(かんじょうどう)・唐門・大師堂があり、住宅風建築物で、1598(慶長3)年に造営。大師堂にはお(こつ)大師(彫像の胎内に師の骨を納めてある)と呼ばれる智証大師真像[国宝]、智証大師中尊像[国宝]を安置する。なお智証大師の尊像はいずれも頭が大きく造られているのが特徴。

毘沙門堂(びしゃもんどう)[重文] 宝形造の小堂で桃山時代風の意匠が施されている。

観音堂 西国三十三所14番札所。ここから見る琵琶湖の眺望は昔から有名。

◆絹本着色不動明王像(黄不動)[国宝] 日本三不動の一つ。他に青蓮院の青不動・高野山明王院の赤不動。838(承和5)年智証大師が感得して描かせたといわれ、わが国最古の不動明王像といわれる。立像で肉身を黄色で彩色しているため、黄不動の名がある。秘仏のため拝観することはできない。

新羅善神堂(しんらぜんじんどう)[国宝] 1347(貞和3)年の建築で、足利尊氏の建立と伝える。中世より園城寺に建っていた唯一の建築。北院と呼ばれる一角にある。

(かん)学院(がくいん)《天台寺門宗》非公開(事前に連絡、拝観可)0775-22-2238

園城寺金堂の南、村雲橋を渡った右手。もとは、山内の学寮であった。

客殿(きゃくでん)「国宝」 1600(慶長5)年、豊臣秀頼が毛利輝元に命じて建てさせた。7面四方、入母屋造で正面に軒唐破風をつける。住坊的性格の強い書院造。部屋を飾る狩野派の障壁画や庭園も見落とせない佳作。

光浄院(こうじょういん)《単立》非公開(事前に連絡、拝観可)0775-22-2238

園城寺金堂の北、円満院の裏手になる。桃山期の豪華な客殿と庭園で知られる。

客殿「国宝」 1601(慶長6)年、秀吉の信任の厚かった山岡道阿弥(やまおかどうあみ)によって建立。寝殿造の流れをくむ中門、上段書院の小室をもつ主室の一の間など、勧学院客殿とともに古い形式の書院造の代表例とされている。

◆庭園[名勝・史跡] 縁下の際から池が造られ、池中に亀石や夜泊石(よどまりいし)を点々と置く。奥は山裾を利用して枯滝の石組みを配しており、小規模ながら奥行きのある、味わい深い構成になっている。

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