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京都観光タクシー同友会の観光案内

【近江八幡】 市役所0748-33-3111

町の起こりは1585(1天正13)年、豊臣秀次(とよとみひでつぐ)が八幡山に城を築き、山麓に湖への運河を兼ねた外堀“八幡堀(はちまんぼり)”を引いて安土城下の人々を移し住まわせたのに始まる。町割は碁盤目状の整然としたもので、鍵の手に曲げた従来の城下と異なり、商業の振興を重視したことが伺われる。八幡城廃城ののちは、全国に活躍する※近江商人の本拠地として繁栄を続け、近江米を中心とする稲作農業のほか、伝統産業の※ヨシ製品、八幡瓦、淡水真珠などを産する。安土町との境にある西ノ湖は“水郷めぐり”で有名。

※豊臣秀次(1568〜95) 豊臣秀吉の実姉日秀の子。賤ガ岳(しずがたけ)の戦などの戦功により、八幡山を築城。秀吉の実子鶴松の死去にともなって秀吉の養子となり、関白の座につく。関白になってからは、京の(じゅ)楽第(らくだい)で政務をとる。その後、秀吉に実子秀頼(ひでより)が誕生すると、秀吉との関係が悪化する。文禄4年、謀反を理由に関白・左大臣の職を解かれ、高野山に追放されて切腹を命じられる。それにともない、秀次の近臣の多くが粛清(しゅくせい)され、妻妾(さいしょう)や子女およそ30名も京の三条河原で皆殺しにされる。この処断は、武将間の対立を深め、豊臣政権の瓦解(がかい)を早める大きな要因になったといわれる。

※近江商人 近江は古来水陸交通の要衝であり、古くから商業が盛んであった。中世には延暦寺の保護の下に周辺地域へ商圏を広げたが江戸時代に入ると、八幡・日野・五個荘を中心とする、いわゆる近江商人の活躍が一層活発化した。伊藤忠・丸紅などはこの近江商人の系譜を引く企業。

※ヨシ ヨシはイネ科の多年草。刈り取ってすだれやよしずを作る。ヨシの正式名称は葦(アシ)。アシは「悪し」に通じることから、これを避けて、このごろではヨシと呼ばれるという。

◇八幡堀周辺[重要伝統的建造物群保存地区] 近江八幡を代表する風景。堀は城の防御のため八幡山を囲むように築かれ、琵琶湖と結ばれて船が行き来し、近江八幡の経済や流通の中心的な存在であった。

日牟礼(ひむれ)八幡宮 1005(寛弘2)年、宇佐(うさ)八幡宮を勧請(かんじょう)したという。源頼朝が近江守護(しゅご)佐々木定綱に命じて社殿の造営を行い、もと山上、山下の2社があったが、八幡城築城時に山下に統一されたと伝える。絵馬堂には、鎖国令で海外から帰国できなくなった近江商人(あん)南屋(なんや)西村太郎右衛門が、1647年に奉納した安南(あんなん)渡海船額の模写がある。本殿の裏には願い事が叶うという屏風岩がある。[重文]誉田別尊坐像・比売神(ひめがみ)坐像・息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)坐像・安南渡海船額など。

■八幡山ロープウェー 標高差283.8m。昭和37年の開通。八幡山城は豊臣秀次により築城されたが、秀次へ没後まもなく廃城、現在は本丸跡に秀次の菩提寺・瑞龍寺(ずいりゅうじ)が立つ。0748-32-0303(無休)

■かわらミュージアム 地元特産の八幡瓦を中心に、瓦のさまざまな用途を紹介する博物館。粘土で標札が作れる体験教室も実施。0748-33-8567(月)

白雲館 明治10年に旧八幡東小学校として建てられた西洋風建築の建物を利用した施設。屋根は近江瓦を使った和洋折衷の様式が特徴。一階は町並み情報センター(観光案内所)になっている。喫茶室もある。0748-32-7003

ヴォーリズ記念館 ウィリアム・メレル・ヴォーリズの住居を記念館として公開する。明治38年、彼は高校の英語教師としてアメリカから来日。数々の洋館を設計。生涯キリスト教の伝道を務め、メンソレータムで有名な近江兄弟社を設立。彼が設計した建物は市内に24棟現存。日本に帰化し近江八幡で生涯を終える。

郷土・歴史民俗資料館 江戸時代末期の民家を修復し、当時の近江商人の生活ぶりを伝える資料館。豪商・安南屋西村太郎右衛門邸跡に立つ郷土資料館では、生活道具や商売道具を展示紹介。また、旧西川利右衛門邸[重文]を公開し、当時の生活ぶりを伝えている。0748-32-7048(月)

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