京都観光タクシー同友会の観光案内
【
二上山は奈良盆地を間にして、東の三輪山に対する西の正位置にあり大和と河内の国境に雄岳517mと雌岳472.2mの2峰が寄り添って並ぶ。また、大和から見て日の沈む位置にあり、そのため死者の魂が赴く地とされた。古くは“ふたかみやま”の名で呼ばれ、悲劇的な死をとげた※大津皇子が葬られた地として万葉集に、哀切に満ちた詩が載せられている。
二上山は各種の石材が産出することも特色で、石器時代にはサヌカイトが石鏃や包丁などの石器に、松香石が古墳の石室・石棺、寺院や宮殿の礎石・基壇に、またザクロ石(金剛砂)が現在サンドペーパーや研磨用に使用される。
※大津皇子 天武天皇の皇子。持統天皇の姉で天智天皇長女の大田皇女を母とする。堂々たる体躯、文武に優れていた。しかし、天武天皇の崩御ののち、謀反の罪を受け、死刑に処せられる。この事件は持統天皇がわが子草壁皇子の地位を守るための陰謀といわれている。
【
二上山の南側を大和と河内を結ぶ。日本書紀によると推古天皇のとき設けられた日本最初の官道といわれる。難波の港から朝鮮や中国から文化を、特に日本文化の基礎となる仏教を大和にもたらした渡来者、使節たちがこの道を通ってきた。この街道も今は国道166号となっているが、太子町を横断するこの竹内街道沿いに、その創設にかかわった推古天皇・聖徳太子・小野妹子の墳墓があり、さらに西に進むと仁徳天皇陵のある堺に出るという。街道沿いにこれらの歴史を紹介する太子町立竹内街道歴史資料館(月・火曜日と祝日の翌日は休館0721-98-3266)がある。
【当麻蹶速塚】
当麻寺駅から西へ、当麻寺へ向かう途中に鎌倉時代中期の五輪塔と蹶速の姿を彫った碑がある。相撲の発祥のいわれという当麻蹶速と出雲の※野見宿禰の力くらべで、敗者となった蹶速を追善して造られたもの。なお蹶速の屋敷跡は二上山の麓、当麻山口神社の付近と伝える。
※野見宿禰 出雲の人といわれ垂仁天皇の命により穴師坐兵主(あなしにますひょうず)神社(桜井市)で当麻蹶速と力比べをして勝ったといわれる。また、皇后崩御のとき、殉死に代える埴輪を創案し、それによって土師臣を称することになったという。
京都検定HOME | おすすめ観光コース | 貸切料金表 | お薦め食事処 |
こだわり観光コース | 中井タクシーのブログ | お薦めお休み処・お土産 | |
紅葉観光コース | 観光社寺一覧 | タクシードライバーの研修会 |