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【妙蓮寺】《日蓮宗本門法華宗大本山》075-451-3527

 1294(永仁2) 日朗(にちろう)門下の逸材、日像(にちぞう)上人によって開創された。はじめ五条西洞院の柳屋仲興の邸内にあって、柳寺と称したが、延暦寺の迫害で一時衰微した。1420年頃(応永年間)、妙顕寺を退室した日慶上人によって再興、名も妙蓮寺と改めた。その後、寺域を堀川四条に移し、皇室ならびに伏見宮家と関係深い日応上人を迎えて公家衆との親交を深めた。それにより京都の日蓮門下21ヶ寺の本山として寺運は隆盛した。1536(天文5)、法華宗の隆昌を妬む比叡山天台宗を筆頭に諸宗の僧俗6万人によって襲撃され、妙蓮寺をはじめとする日蓮聖人門下21本山は、ことごとく灰燼に帰し堺に立ち退いた。のち、大宮元誓願寺に再興され、さらに1587(天正15)、秀吉の聚楽第造営に際し、現在の地に移る。1キロ四方の境内に塔頭27ヶ院を有する大寺院であったが、1788(天明8)の大火によって、そのほとんどが焼失し、わずかに宝蔵・鐘楼を残すのみとなった。寛政元年より漸次復興して、現在に至り、塔頭8ヶ院を残す※日郎1261(文応2)、日蓮を師として法を学んだ。1271(文永8)、日蓮の流罪の際、(つち)(ろう)(おし)(こめ)となる。1274(文永11)佐渡に流罪となっていた日蓮を8回訪ね、赦免状を携えて佐渡に渡る。1282(弘安5)、池上宗仲の協力のもと、池上本門寺の基礎を築いた。

山門本堂庫裡・書院十六羅漢の庭妙蓮寺椿御会式桜

■本堂 本尊・法華首題牌および釈迦・多宝両如来の像を安置する。

■書院 幸野楳嶺(こうのばいれい)の孫豊一画伯の筆になる襖絵「四季山水花鳥図」

■庭園・十六羅漢の庭 書院の西側につくられた枯山水の平庭で、南北に細長い地割に白砂を一面に敷き、十六個の石を巧みに配し、あたかも釈迦の説法を十六羅漢がうかがっているさまを表現するという。江戸初期の石立(いしたて)玉淵坊(ぎょくえんのぼう)日首(にっしゅ)の作庭といい、中央西よりの青石(臥牛石)は伏見城より移したと伝える。

御会式(おえしき) 日蓮聖人が入滅された1013日前後から咲き始め、翌48日のお釈迦さま生誕のころに満開になる。日蓮聖人が入滅になられた時、開花したという言い伝えのある桜。

□妙蓮寺椿 早咲きで11月から翌春の3月末まで咲き続け、茶花としても愛用される。徳川家康が椿を愛でて賛を寄せたといわれている。

□その他 墓地には明治初期の画家幸野楳嶺の墓や昭和9年の室戸台風で犠牲となった西陣小学校41名の供養塔がある。


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