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【妙満寺】顕本(けんぽん)法華宗075-791-7171

 1389(康応元)日什(にちじゅう)上人によって創建された顕本法華宗の本山で、六条坊門室町に妙塔山妙満寺を建立し、根本道場としたのが起こり。寺は応仁の乱など幾度かの兵火にあい、また、天文5年、比叡山の僧徒による焼き討ちで二十一坊の大伽藍を類焼する。その後、天正11(1583)に寺町二条に移った。1945(昭和20)第二次世界大戦の強制疎開によって塔頭四ヶ院とその境内地を失い、その後、都市化が進み日毎に増す喧騒と環境悪化を避けるため、昭和43年に「昭和の大遷堂」を挙行。現在の岩倉の地に移り今日に至る。

山門 桜の妙満寺 仏舎利塔と本堂
鐘楼 安珍清姫の鐘 8月の「雪の庭」
中川ノ井 比叡山を借景とした「雪の庭」 雪の庭の石組

■仏舎利塔 世紀前200年頃、釈尊成道の聖地にアソカ王が建立したインドブッダガヤ大塔を模す。昭和48年に建立された我が国で初めての塔といわれ、一階正面には釈迦如来像を安置し、最上階には仏舎利が安置されている。

◆安珍・清姫の鐘 本坊に安置する。一に「道成寺鐘」ともいう。高さ約1メートル、口径70センチの小さな銅鐘で、「道成寺」云々や1359(正平14)の銘を刻む。修験者「安珍」が熊野へ参詣する途中、紀州室の郡の庄司清次の館に一宿を求めた。そのとき、庄司の娘「清姫」が安珍に思いをよせて言いよる。安珍は熊野参詣を済ませたら立ち寄ると約束するが、約束を破り帰途につく。これを知った清姫は激怒して安珍を追いかける。この鐘は清姫に追われた安珍が、道成寺へ逃げ込んで隠れた鐘といわれ、清姫は蛇体となって鐘をとり巻き、安珍を焼き殺し、自らも日高川に身を投じてしまう。その後、道成寺に二度目の鐘が完成。その祝儀の席で、一人の白拍子が現れ、舞いつつ鐘に近づき身を蛇身に変え、鐘を引きずり降ろすと、その中に姿を消したという。僧達は「これぞ清姫の怨霊なり」と一心に祈念したという。その怨念のためか音が悪く、近隣に災厄がつづいたために山林に鐘は捨てられる。その後、秀吉の根来寺(ねごろじ)攻めの時見つかり、陣鐘として使い、そのまま京都に持ち帰ってこの寺に奉納したと伝える。

◆方丈庭園「雪の庭」 もと塔頭成就院(じょうじゅいん)の庭を称したが、現在は本坊内にもとのように移されている。この庭は俳人松永貞徳(ていとく)が作庭したといわれ、清水寺成就院「月の庭」、北野成就院(廃寺)の「花の庭」で、雪月花三名園ともてはやされた。

◆中川ノ井 足利義政の頃、茶人能阿弥のえらんだ洛陽七名水の一つといわれ、茶の湯に愛用されたという。寺の移転にともない、今は井戸枠だけが残る。

□寺宝 土佐光則筆「加藤清正像」、「松永貞徳像」等を有する。

参考資料 昭和京都都名所図会 竹村俊則著より

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