京都観光タクシー同友会の観光案内
【向日神社】《
乙訓の中で、有数の古社の一つ。社伝によれば、718年(養老2)の創祀と伝える。向日神は式内小社であるが、※火雷神はもと乙訓村に鎮座し(現、角宮神社)、式内大社に列せられていたが、社殿が荒廃したので、1275年(建治元)向日神社に合祀された。それより向日神社を上社、火雷神を下社と称するに至った。創祀以来、上社は五穀豊穣の神として、下社は祈雨・鎮火の神として朝野の崇敬あつく、延喜の制には国家の祭祀にあずかり、明治になって府社になった。
※火雷神 大山咋命(松尾大社の祭神)、賀茂の玉依姫と神婚した丹塗矢の本身。向日神と共に大歳神の御子、素戔嗚命の孫という。
■社殿 本殿[重文]・幣殿・拝殿を接続した複合形式で、あたかも権現造りのようになっている。覆屋に包まれた本殿は、三間社、流造り、檜皮葺、1418年(応永25)の建造で、明治神宮社殿のモデルになったといわれる。
◆文化財 藤原清貫筆『日本書紀神代紀下巻』[重文]・小野通風筆の額「正一位向日大明神」、豊臣秀吉、徳川歴代将軍のご朱印状など。
□向日山 「むかひやま」ともいう。向日神社の背後の山をいい、向日丘陵の最南端に位置する。標高63.6m。山頂からは向日市や長岡京市一帯を望んで、眺望がよく、古来、歌枕にもなった名山である。『山州名跡志』によれば、一に「勝山」とも呼ばれるのは、豊臣秀吉が征韓の途次、向日神社に参詣して山の名を神官に問うたところ、「勝山」と答えたので、秀吉は大いに喜んだ。それより勝山と称するようになったとつたえる。
□六人部家 六人部家は、代々、向日神社(上社)の宮司を務めてきた。それ以前は、下社の宮司をしていた。鎌倉時代の承久の変(1221年)で下社が焼失し、六人部家は一時丹波に逃れた。その後、上社の宮司を務めるようになったという。六人部家中、六人部是香(1798 ~ 1864)は、幕末の向日神社の神職であり、国学者だった。弟子に、坂本龍馬、副島種臣、中岡慎太郎などを輩出している。
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