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松尾(まつのお)大社】《祭神/大山咋(おおやまくい)神・市杵島姫命(いちきしのひめのみこと)075-871-5016

 701(大宝元年)秦忌寸都理(はたのいみきとり)が松尾山山頂近くの大杉谷上部の磐座(いわくら)から神霊を勧請し現在地に祭った。桓武天皇の平安遷都以後、王城鎮護の神として「賀茂の厳神」「松尾の猛霊」と東西並び称された。延喜の制には名神大社に列せられ、中世を通じて上七社の一に数えられる有数の大社となった。歴代天皇の行幸、行啓はたいへん多く、中世以降は酒造の神として醸造家の崇敬を得た。

脇勧請が下がる鳥居 楼門 拝殿
本殿 飾樽 07-4-20 山吹
曲水の庭 上古の庭 蓬莱の庭

■祭神について 大山咋(おおやまくい)古事記の記述によると、須佐之男神(すさのおのみこと)の御子である大年神(おおとしのかみ)の御子と表されている。山の上部に鎮座して、山及び山麓一帯を支配する神であり、近江国の比叡山を支配する神(日吉大社)と、ここ松尾山一帯を支配する神(松尾大社)がおられたと伝えている。市杵島姫命(いちきしのひめのみこと):市杵島姫命は、中津島(なかつしま)(ひめの)(みこと)の別名。古事記の記述によると、福岡県の宗像大社に祀られる三女神の一神で海上守護の神。おそらく外来民族である秦氏が朝鮮半島との交易する関係から、航海の安全を祈って勧請されたと伝る。

■神使(鯉と亀) 神が太古、山城丹波の国を拓くため保津川を遡られる時、急流は鯉、緩やかな流れは亀の背に乗って進まれたと伝える、ところからといわれる。

脇勧請(わきかんじょう) 赤鳥居の上部に、榊の小枝を束ねたものが数多く垂れ下がる。これを「脇勧請」といい、鳥居の原始形式を示すといわれる。榊の束は十二(閏年は十三)あり、月々の農作物の出来ぐあいを占った太古の風俗を、そのままに伝えていると言われている。

■楼門 江戸時代初期の作。楼門は左右に随神を配置。周囲に張り巡らせた金網には、たくさんの杓子がさしてある。これはよろずの願い事を記して掲げておけば救われると言う信仰に依るもので、いわば祈願杓子とも言われている。

本殿[重文] 1397(応永4)年建造された室町時代の建築。檜皮葺、正面三間、側面四間で両流造という変った造りで、松尾造という。1542(天文11)大修理を施したもの。正面向拝の斗組(ますぐみ)蟇股(かえるまた)・手挟などに優美な彫刻意匠が見られる。

亀の井 本殿の北東隅にあって、大杉谷の崖下から湧出する泉。この水を酒の醸造のときに加えれば、酒が腐敗しないといわれ、古来醸造家が汲んで持ちかえるならわしがあり、醸造の神としての信仰が厚い。因みに「亀の井」とは、松尾神の神使が亀であることから名付けられたと思われる。

庭園・松風苑 三庭園からなっており、上古・平安・鎌倉の各時代の庭園様式の特長をとらえて作庭されたもので、昭和50年重森三玲・完途父子の作。三庭に用いられた四国吉野川産の青石(緑泥片岩(りょくでいへんがん))200余個使用。

上古の庭 昔の神社では社殿はなく、山中の巨岩などに神霊が宿るとされ、その場所を磐座という。この庭はその磐座を模して造られた。庭の奥、中央にある巨石二つは御祭神の男女二神を、地面に植えられたミヤコザサは人の立ち入れない高山の趣きを、そしてこれを取りまく多数の石は、追従する諸神の姿を表現。

曲水の庭 平安貴族の人々が、慣れ親しんだ雅遊の場を表現したもの。青石の丘麓に御手洗川の清水が七曲りして流れているさまは、曲水の宴を忍ばせる。

蓬莱の庭 蓬莱とは、不老不死の仙界の意味で、その島にあこがれる蓬莱思想が鎌倉時代に最も流行し、これが作庭技術にも採用されて来た。源 頼朝は、当神社に対し神馬十匹・黄金百両を献じて深い尊信の念を捧げ、以後も武門の崇敬は変わることなく明治まで続く。池全体が羽を広げた鶴を象っている回遊式庭園。

■神像館 神像21体が展示。男神像2体と女神像1[重文]は翻波式の衣文(えもん)をもつ貞観時代の像で、東寺や奈良薬師寺とともに神像彫刻では古いものに属す。これらの神像は当社ご祭神を表わすとされ、老年像を大山咋神、女神像を市杵島姫命、壮年像をその御子神として表わしたものであると言われている。

■お酒の資料館 松尾大社とお酒との関わりや歴史、お酒の文化・工程など展示。

【月読神社(松尾大社摂社)《祭神/月読尊》075-394-6263

 創建は古く、『日本書紀』顕宗紀によれば、阿閉臣事代(あべのおみことしろ)任那(みまな)から帰国の際に月神があらわれ、その託宣によって事代はこの由を天皇に奏上したところ、葛野郡の歌荒樔田(うたのあらすだ)の地を賜ったので、壱岐県主(あがたぬし)の祖押見宿禰(おしみのすくね)がこれを祀ったという。『続日本紀』の701(大宝元年)の勅に、神社の神稲を中臣氏に賜わったことがみえるので、それ以前の鎮座であることが確かである。古代は大堰川近くに鎮座していたが、856(斉衡3)現在の地に移したという。神社としては859(貞観元)に正二位を授かり、その後、延喜の制には、大社に列し、押見宿禰(おしみのすくね)の子孫が代々神職として世襲してきた。このように由緒ある神社にもかかわらず、中世以降は松尾大社の勢力に押され、現在は松尾大社の境外摂社となっている。

神社鳥居 拝殿 社殿

境内建造物 江戸時代に建てられた本殿、拝殿。末社太子社・御舟社などからなる。御舟社は天鳥船神を祭神としており、毎年松尾祭の神幸祭の前日には、神輿渡御の安全を祈願するために社殿に於いて祭儀がとり行われる。

月延石(つきのべいし) 本殿に向かって右の玉垣内にあり、一に「安産石」ともいう。『雍州府誌』によれば、神功皇后がこの石で腹をなでて安産されたといい、のちに筑紫より移したとつたえる。これに因んで安産祈願の信仰が生まれた。

参考資料 昭和京都都名所図会 竹村俊則著より

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