京都観光タクシー同友会の観光案内
【京都御所】宮内庁京都事務所 参観係TEL075-211-1215
当初の内裏は、千本丸太町付近に位置しており、内野児童公園内に大極殿跡を示す碑が建っている。しかし、960年(天徳4)の炎上以来、内裏は度重なる類焼のため、天皇は公家の邸宅を借りるという現状であった(これを里内裏と称する)。そして鎌倉初期の1227年に類焼して以降、内裏は再建されていない。
現在の京都御所は、もと里内裏の一つであった土御門東洞院殿の地。南北朝時代、北朝側の内裏の所在地として定着し、1392年(明徳3)の南北朝の合一以後、ここが正式の皇居となる。土御門東洞院殿は、1331年(元弘元)、後醍醐天皇が京都を脱出した後に室町幕府が擁立した光厳天皇がこれを里内裏として以降、明治天皇の東京行幸に至るまで約550年間にわたって使用され続けた。内裏は江戸時代だけでも8回も再建されており、特に寛政度(1789~90年)の再建は、老中松平定信により裏松光世が作成した『大内裏図考証』に基づき古制にならって復元。現存の内裏は1855年(安政2)に、寛政内裏の様式をほぼ踏襲して再建された。
■築地塀 京都御所は築地塀で囲まれた面積約11万平方メートルの敷地。東西約294m、南北約448m。鬼門にあたる敷地の北東角では、築地塀がそこだけ凹んでおり、「猿ヶ辻」と称されている。名称の由来は、ここに魔除けのために日吉山王社の神の使いとされる猿を祀ることによる。
■諸門 計6か所の門がある。下記の他に東面の南寄りに建春門、西面は南から北へ、清所門、皇后門である。これらの門のほかに、穴門という、屋根のない入口が12か所ある。
◆建礼門 天皇陛下と外国の元首のみにひらかれる。
◆朔平門 皇后が利用した正門で、北側にある。
◆宜秋門 かつて公家などが出入した門で、公家門とも呼ばれる。
■御車寄 公家が参内した入口。
■諸大夫の間 正式参内の控えの間。身分によって分かれており、三室からなり、諸大夫の間、殿上人の間、公卿の間。
■紫宸殿 天皇に拝する朝賀の儀式、皇位継承儀式が行われた最も重要な場。
※宸殿造 江戸時代末期の再建でありながら、柱をすべて円柱とする点、柱間装置に蔀を用い、これを建物の内側へ跳ね上げる点、内部に畳を敷かず、板敷の広い室とする点など、様式は平安時代の寝殿造を基調としている。
■春興殿 安政年間に造営された内侍所(賢所)のあった場所に大正天皇の即位礼にあたり造営された。
■清涼殿 清涼殿と並び、儀式用の御殿。宸殿造りでかつては日常の御殿として利用されていた。身舎にある御張台は天皇が休息になるときにお使いになった。東からの風を受けるために東向きに建てられている。
■御池庭 回遊式庭園。
■小御所 中世以降、宸殿造りから書院造に移行する建築様式。皇太子の儀式や将軍、諸大名の謁見の場所として使用された。1954年(昭和29年)、近隣で打ち上げられた花火が飛来して小御所が焼失。その後1970年代前半に復元。
■御学問所 書院造で親王宣下や謁見、和歌の会に利用された。
■御内庭 御池庭の雄大さに比べて、深山幽谷の趣を醸し出している。
■御常御殿 室町時代から天皇のお住まいとなった。畳を敷き詰めた書院造で大小15の間がある。その南には上段・中段・下段の間があり現在の御常御殿は、孝明天皇・明治天皇がご利用された。
■御三間(おみま) 涅槃会・七夕・盂蘭盆などの年中行事が執り行われた。障壁画もそれにふさわしく、平安時代の儀式や大礼の風俗が描かれている。
■大宮御所 京都大宮御所は、後水尾天皇の中宮の東福門院のために造進されたのに始まり、現在の建物は英照皇太后 (孝明天皇女御)のために造営され、1867年 (慶応3)に完成したものである。現在は天皇、皇后、皇太子及び皇太子妃の京都府への行幸啓(旅行)の際の宿泊や国賓の宿泊に使用される。
■仙洞御所 仙洞御所は後水尾上皇の退位後の住まいとして造られたものだが、現在は庭園と茶室を残すのみである。
■京都迎賓館 京都迎賓館は日本の歴史、文化を象徴する都市・京都で、海外からの賓客を、心をこめてお迎えし、日本への理解と友好を深めていただくことを目的に平成17年に建設された。
■国民公園 旧皇室苑地である皇居外苑・新宿御苑・京都御苑の3箇所が国民公園であり、これと無名戦没者の遺骨が納められている千鳥ヶ淵戦没者墓苑と戦後強制抑留及び引揚死没者慰霊碑苑地を合わせて国民公園等という。維持及び管理は環境省。
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