京都観光タクシー同友会の観光案内
【高洞院(大徳寺塔頭】TEL 075-492-0068
慶長6年(1601)、戦国時代に智将として名を馳せ、茶人としては利休七哲の1人として知られる細川忠興(三斎)が、父・藤孝(幽斎)のために叔父で父の弟にあたる玉甫紹jを開祖として創建した細川家の菩提寺。
高桐院の紅葉 2012-11-14 | 高桐院の紅葉 2012-11-14 | 高桐院の紅葉 2012-11-14 |
高桐院の紅葉 2008-11-22 | 高桐院の紅葉 2008-11-22 | 高桐院の紅葉 2008-11-22 |
山門 | 入口 | 参道 |
忠興とガラシャの墓 | 加藤清正の手水鉢 | 松向軒茶室 |
■本堂(客殿) 長谷川等伯が描いたとされる襖絵があったが、明治時代初期の廃仏毀釈で失われてしまっている。現在の建物は忠興の末裔にあたる侯爵・細川護立氏が寄進したもの。
■書院 意北軒と呼ばれ、千利休の邸宅を移築したといわれる。
■松向軒茶室 三斎好みの二畳台目の席で、奥に三畳の水屋が付いている。壁はすべて黒壁とし、天井の変化を以って巧みに調子をとり、床の天井まで網代としている。この茶室は豊臣秀吉が北野で大茶会を催したとき、影向の松の下につくった茶室を移したものといわれ、忠興はこの席をいたく愛し、自分の法号を松向寺殿とも称した。
■忠興とガラシャの墓 六角型の石灯籠(南北朝)を墓標としているのが珍しい。この石灯籠はもと利休の所蔵であったが、秀吉と忠興の二人から所望され、わざと笠石の蕨手の一つを欠きとり、秀吉には疵物と称してことわり、忠興に与えた。忠興は深く喜び、これを陣中にまで運んで愛玩したという。
◆庭園 本堂南庭はカエデの古木で名高く、江戸時代初期の造園と伝わっている。もとは土の庭だったが、現在の松長剛山住職が一面苔で覆った。ほの暗い本堂から庭園をのぞむと、ふすまの縁を額に1枚の絵画のような趣を醸し出している。カエデは樹齢100年を超えるものが多く、中には300年の古木もある。いまも、実生の芽を畑で育て、背丈ほどの大きさになってから庭園に移植しているという。「人と同じで、カエデも生まれた土地との相性がいい。無の庭です。あるのはカエデと苔と冬の雪だけ。ほかに造作したらあかんと思っている。禅寺の本堂の庭には、無がふさわしい。世の中いらんことが多すぎる。この静寂さに心の安らぎを感じてもらいたい」と住持して30余年、毎日庭と対面してきた松長住職の思いという。
◆寺宝 「山水図二幅[国宝・南宋]」李唐の筆と伝える水墨画。本邦伝存の水墨画系中の圧巻といわれている。
◆その他重文 絹本着色牡丹図 2幅(中国・元の銭舜挙作)・絹本着色稲葉良籌像
参考資料 昭和京都都名所図会 竹村俊則著より
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