京都観光タクシー同友会の観光案内
【広隆寺】《真言宗御室派》075-861-1461
広隆寺の紅葉 2010年11月
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622(推古天皇30)年、秦河勝が聖徳太子のために創建した、京都市内でもっとも古い寺院。創建時の伽藍は、現在の平野神社あたりにあったというが、のち平安遷都で現在地に移った。日本書紀によると、秦河勝が聖徳太子から仏像を賜わり、これをご本尊として建立したとある。その本尊・国宝指定第1号の弥勒菩薩像はあまりにも有名。京都における太子信仰の中心である。太秦に至る旧二条の道は「太子道」、嵐電の停留所は「太子前」といった。しかし、近年、観光客のために「太秦」駅に改められた。
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南大門(仁王門) | 薬師堂 | 講堂 |
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上宮王院太子殿(本堂) | 本堂側面 | 霊宝殿 |
◇太秦 雄略天皇(5世紀後半)の時、秦酒公が天皇に絹織物を献上し、それらがうず高く積み上げられたので禹豆麻佐の姓を賜ったと『日本書紀』にある。後に、「太秦」の字を当てたといい、「太」は秦氏に対する尊称かと思われる。また、「うずまさ」とは、古代朝鮮語で族長という意味ともいわれている。
◇秦氏 五世紀後半に朝鮮半島より渡来した有力氏族。秦の始皇帝の末裔という伝説。養蚕、機織り、酒造、治水などにすぐれ、豊かな経済力を背景に平安京の開発に力を尽くした。平安遷都に一世を風靡した秦氏であるが、その後は歴史の中から消えてしまう。ちなみに、秦氏の『秦』は機織の『機』、国旗の『旗』などに通じる。
■南大門(仁王門) 江戸中期、1702年の再建。仁王像は室町時代の作。
■講堂[重文] 1165年の建立。広隆寺にある最古の建物で「赤堂」ともよばれる。古来より著名な阿弥陀三尊像を安置。本尊・阿弥陀如来坐像[国宝]、右に地蔵菩薩[重文]、左に虚空蔵菩薩[重文]。
■太秦殿 1841年の建立。秦河勝を祀る。
■上宮王院太子堂(本堂) 1730(享保)年に建立。聖徳太子33歳像を安置。この像には、歴代天皇が即位の大礼に着用される黄櫨染御袍の束帯を着せられる習わしという。現在も今上天皇の束帯を身につける。天皇になれなかった聖徳太子の鎮魂のためか?聖徳太子の命日11月22日だけ、厨子の扉が開かれる。
■桂宮院本堂[国宝] 1251年の再建。法隆寺の夢殿に似た八角円堂。本尊・聖徳太子半跏像と隋の煬帝が聖徳太子に奉献したと伝える阿弥陀如来像、及び如意輪観音像を安置する。
■霊宝殿 昭和58年竣工。国宝・弥勒菩薩半跏思惟像2体・(宝冠弥勒および泣き弥勒)を中心に天平時代から鎌倉時代までの多数の仏像が、講堂や桂宮院安置の諸仏像とともに一堂に展示。国宝・重文の宝庫。また、弥勒菩薩の台座は免震構造で、地震が起きても大丈夫。
◆十二神将像[国宝] 平安後期の和様彫刻様式を完成させた定朝の弟子である仏師長勢の作と伝えられる。薬師如来の眷属を務める12の夜叉を十二神将と総称する。12神それぞれ7000人の配下を率いて、薬師如来を敬う衆生を護り、大願を成就させるという。平安以降は十二支と結びつき、方位や時刻を守護する性格が生まれる。勅封の薬師如来像は11月22日に開扉される。
◆弥勒菩薩半跏像(宝冠弥勒)[国宝] 七世紀の作で国宝指定第1号。赤松の一木造り。半跏思惟像ともいい、右足を左膝にのせ、右手をそっと頬にあてて思索にふける様子を表す。釈迦入滅の後、56億7千万年を経て、釈迦如来の救済に漏れた衆生を一人残らず救うといわれている。現在は兜率天に住み出番を待つという。昭和28年、京都大学の学生が、弥勒菩薩のあまりの美しさに感動して抱き着き、仏像の指を折った。この事件がこの弥勒菩薩を一躍有名にした。
◆宝髻弥勒(泣き弥勒)[国宝] 楠の一木造り。泣いているような表情をしているので泣き弥勒とも。斑鳩・中宮寺の弥勒と広隆寺弥勒2体で日本三弥勒。
◆不空羂策観音立像[国宝] 8世紀末~9世紀初の作。右手に錫杖を持って教えを説くため歩きまわり、蓮の花で大海に苦しむ人々を集め、大きな羂策ですくい上げ、幸福にするという仏。不空とは、願いが空しくないという意味。奈良時代に信仰が流行し、遺例は奈良の寺院に集中している。
◆十一面千手観音 木像漆箔 平安初期 像高 260cm 「頭上に11の頭で人々に教えを説いています。40本の手は、衆生をお救いするいろいろな持物を手に持ち、それぞれの手は、25の迷いの世界にいる人々を救済することから、40と25をかける数、1000のはたらきで、無量広大な力を表し、1000の手にはそれぞれの目があり、人々の悩み、苦しみをお救いくださる仏さまです。」
◇牛祭 広隆寺の祭りのようであるが、本来、東隣の大酒神社の祭り。広隆寺は場所を提供。京都三大奇祭の一つ(他に、やすらい祭・鞍馬の火祭)。毎年10月12日の夜、行われる。
◇釿始め 1月2日10時〜。釿は大工道具の一つで、木材を粗削りするもの。「釿始め」は、宮大工の年頭儀式を古式ゆかしく再現する。
参考資料 昭和京都都名所図会 竹村俊則著より
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