京都観光タクシー同友会の観光案内
【金福寺】《臨済宗南禅寺派》℡075-791-1666
864年(貞観6)、安恵僧都が慈覚大師円仁の遺志によって創建したとつたえる。もと天台宗であったが、中世荒廃し、江戸時代、圓光寺の鉄舟和尚によって再興され、臨済宗南禅寺派の寺にあらためた。本堂には聖観音菩薩像を本尊とし、脇侍に毘沙門天・不動明王を安置する。
山門 | 拝観入口 | 本堂 |
本堂前庭園 | 芭蕉庵 | 弁天堂 |
■芭蕉庵 庭園の東側に立つ茅葺き屋根の庵で、内部は千利休が造った待庵に似た三畳台目の茶室となっている。元禄時代に鉄舟和尚と親交の深かった松尾芭蕉が京都を旅行した際に滞在したことで知られ、周辺の住民によって芭蕉庵と呼ばれるようになったが、後に形がないほど荒廃したために、芭蕉を敬慕する与謝蕪村とその一門によって、1776年(安永5年)再興された。
■与謝蕪村と金福寺 蕪村は晩年、京都に永住したが、しばしば当寺を訪れ、門弟たちと句会を催した。その折に使用した文台や硯箱が、今も当寺に保存されている。蕪村はまた、生前にこの地を墳墓の地にさだめ、天明三年(1783)12月25日、68歳で没し、お寺の後ろの丘に葬られた。
■村山たか女 彦根藩城下の三味線師匠で、和歌を詠み、漢籍にも通じた才女。彦根藩士で国学者の長野主膳の愛人。やがて藩主井伊直弼が黒船渡来に始まる幕末の危機に幕府大老に起用されたのに伴い、長野主膳は井伊直弼の懐刀となって活躍。この幕末の時期に、たか女は、長野主膳の意をうけて京都などで尊皇攘夷派の情報を収集する活動をはじめる。尊皇攘夷急進派の天誅組に捕えられ、京都三条河原で三日三晩の生き晒しにされたが、救出され、出家して妙寿と名乗り、文久2年(1862) 金福寺で尼となる。明治9年(1876)六十八歳で没したとつたえる。墓は圓光寺にあるが、近年境内に詣墓として新しくつくられている。なお表門の北にある弁天堂は、明治2年(1869)、村山たか女が報恩のために奉納した弁天像を安置する。
■文化財
Ø 芭蕉翁像・・与謝蕪村筆
Ø 洛東芭蕉庵再興記・・与謝蕪村とその一門が芭蕉庵を再興した際に、蕪村が寄せた俳文。
Ø 宝塔・・蛇が入っているもので、村山たか女が寄進した。
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