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【金戒光明寺(黒谷)《浄土宗大本山》TEL075-771-2204

 もと比叡山延暦寺にあった白河禅坊が、法然上人に付与され、1175(承安5)叡山西塔黒谷よりこの地に移り、念仏道場としたのが起こりと伝える。その後、上人は洛東吉水に移ったが、世人は新黒谷と称し、のちには単に黒谷の名をもって呼ばれた。浄土宗の隆盛にともなって大寺となり、後光厳天皇より「金戒」の二字を賜り、後小松天皇より「浄土真宗最初門」としるした勅額を賜った。応仁の乱に罹災し、その後も数回の火災によって堂舎を焼失、その都度公武の庇護によって再建されて今日に至っている。

■山門 1860(万延元)の再建。楼上に掲げる「浄土真宗最初門」の額は、後小松天皇の宸筆(しんぴつ)で、楼上内部には釈迦・文殊・普賢および十六羅漢の像を安置。

■御影堂 1944(昭和19)工学博士天沼俊一(東京帝国大学工科大学建築学科卒。京都大学教授。古建築の調査に従事)の設計になる鎌倉様式を採り入れた建物。堂内には本尊・法然上人自作の像を安置する。

(よろい)かけの松 御影堂前の広場にある。一の谷の戦に平敦盛(たいらのあつもり)を討って世の無常を感じ、法然の弟子となった熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)は、ここで出家したが、そのとき着ていた鎧を池水で洗い、この松に掛けたと伝える。

鎧かけの松

■阿弥陀堂(本堂) 1605(慶長10)豊臣秀頼が大仏殿建立の余材を以て再建したと伝える。堂内に安置する本尊・阿弥陀如来像は、恵心僧都(えしんそうず)の最後の作で、彫刻に用いた器具をその胎内に納めたところから、世に「おとめの如来」「ノミおさめ如来」と称されている。

■経蔵 1689(元禄2)の建立で、方三間、重層、屋根は宝形造、本瓦葺。内部に宝冠釈迦如来及び伝大士の像を安置し、黄檗版一切経を納める。

■観音堂 阿弥陀堂の南、収蔵庫を兼ねている。堂内に安置する本尊・千手観音像[重文・藤原]は高さ2.64m、半丈六の立像で、一木造り、漆箔(しっぱく)もと吉田神楽坂付近にあった吉田寺の旧本尊と伝える。また、その傍らに安置する吉備真備(きびのまきび)(江戸) は、高さ1m余、衣冠を着し、両手を前で合わせて(しゃく)を持った坐像で、これも吉田寺にあったものといわれている。

■大方丈 講堂とも称し、単層、入母屋造、本瓦葺。昭和10年の再建。閑院宮(かんいんのみや)載仁(ことひと)親王筆の「白河禅坊」の額を掲げる。本尊阿弥陀如来像は法然上人念持仏といわれ、襖絵の「竜虎・鳳凰・獅子図」は久保田米仙の筆、また「楊柳図」は今尾景年の筆となる。

蓮池院(れんちいん)(熊谷堂) 境内塔頭の一つで、熊谷直実の住坊跡と伝える。直実は出家後、蓮生(れんじょう)法師と号し、法然に師事し、1208(承元2)に没した。長門の住人熊谷直安によって再興された。堂内に安置する法然母衣(ほろ)絹の影像は、直実と師弟の約をむすんだ記念として、法然みずから鏡に映し、敦盛の母衣絹に描いて与えたものとつたえ、傍らに敦盛夫人像・直実自作の木像等を安置する。

極楽橋 蓮池院

■勢至堂 法然上人の分骨を納める廟所で、堂内には勢至菩薩像を安置する。また、堂前の左右には直実・敦盛供養塔と称する大きな五輪石塔がある。

■三重塔[重文] 1633(寛永10)徳川秀忠菩提のために建立。方三間、本瓦葺。本尊・文殊菩薩および脇侍の維摩居士(ゆいまこじ)優波梨(ゆばり)尊者・優?王(ゆふんおう)善財(ぜんざい)童子は、もと岡崎福ノ川町付近にあった宝幢寺の遺仏といわれ、古来日本三文殊(他に宮津智恩寺・奈良阿部文殊院)の一つとして崇敬されている。

三重塔 会津藩殉難者墓地

◆名家墳墓 本堂東の黒谷山中には徳川秀忠夫人崇源院、徳川義直母、国学者山崎闇斎・今井似閑、箏曲(そうきょく)開祖八橋検校(やつはしけんぎょう)、茶人藤村庸軒、儒医藤林普山、茶人土肥二三、国会議員水谷長三郎等の墓がある。西雲院付近には、歌人池玉瀾・梶女、文人中島棕隠・橘南谿、画家竹内栖鳳等の墓があり、本堂東北には、京都府知事北垣国道、南宋画家重春塘、文学者厨川白村(くりやがわはくそん)、『平安名家墓所一覧』を著した山本臨乗、『京都坊目誌』を著した碓井小三郎、工学博士天沼俊一等の墓がある。また、会津藩殉難者墓地が有り、文久2年~慶応3年の5年間に亡くなった237霊と鳥羽伏見の戦いの戦死者115霊を祀る慰霊碑(明治403月建立)がある。墓地には武士のみではなく、使役で仕えたと思われる苗字のない者も、婦人も同様に祀られている。

京都守護職本陣旧跡 徳川家康は幕府を盤石なものにする為に特に京都には力を注いだ。直割地として二条城を作り、所司代を置き、何かある時には軍隊が配置できるように黒谷と知恩院をそれとわからないように城構えとしている。小高い岡になっている黒谷は自然の要塞になっており、特に西からやってくる敵に対しては大山崎(天王山)、淀川のあたりまで見渡せる。因みに山内の西翁院(さいおういん)にある「淀看(よどみ)の茶席[重文]は、茶席より淀川の帆船を見ることが出来たのでこの名が付けられた。会津藩主松平容保(まつだいらかたもり)14代将軍徳川家茂(いえもち)から京都守護職に任ぜられ、この黒谷金戒光明寺が本陣に選ばれた。

参考資料 昭和京都都名所図会 竹村俊則著より

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