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【興福寺】《法相宗大本山》0742-22-7755
710年(和銅3)、藤原不比等が飛鳥地方にあった厩坂寺を平城遷都につれ、奈良に移し興福寺と呼んだと伝える。古代・中世を通じて大和一円に権勢を張り、京都の比叡山と並んで※南都北嶺と称された。1180(治承4)年、平氏の南都焼打ちで主要な堂塔を失い、その後も何度かの火災にかかり、その都度復興を繰り返したが、江戸時代、1717年の大火にあったときは、もう復興の力はなく、さらに明治の廃仏毀釈では一時的に廃寺同様となり、境域の大部分を失った。
※南都北嶺 南都は奈良、北嶺は比叡山。はじめ奈良仏教と、新興の比叡山天台宗との対立関係の称であったが、南都諸大寺のうち興福寺の勢力が増大すると興福寺・延暦寺の2大勢力をさす。
国宝館 | 東金堂と五重塔 |
再建中の中金堂 | 南円堂 |
■中金堂 創建当初、興福寺の伽藍の中心をなす建物。現在のお堂は1819年に建てられた仮堂。堂内にあった本尊・釈迦如来坐像、有名な脇侍、薬王菩薩・薬上菩薩[重文]は現在、仮金堂に安置する。現在仮金堂の解体が終了し、天平時代の建物を復元する予定になっている。
■東金堂[国宝] もと、聖武天皇の創建であるが、現在の建物は1415年の再建。奈良時代の伝統にのっとった室町時代の復古的建築。中金堂をはさんで西金堂があったが、今はない。
■五重塔[国宝] もと、光明皇后の願による建立で1426年の再建。5度の焼失を繰りかえし現在で6度目。高さ50.8m、古塔としては京都東寺の五重塔の55mに次ぐ。天平の規模を再現した室町時代の復古的建築。
■北円堂[国宝] 1208年の再建。堂内内陣には弥勒仏坐像[国宝]、世親菩薩立像[国宝]を安置する。
■南円堂[重文] もと、藤原冬嗣の創建。現在のお堂は江戸時代(1741年)の再建。西国三十三所の第9番札所。本尊・不空羂索観音坐像[国宝]を安置。
◆不空羂索観音坐像[国宝] 南円堂の本尊で漆箔、寄木造。その他に木造・四天王立像4体[国宝]があり、運慶の父・康慶一門によって作られた鎌倉初期の代表的な彫刻。
■三重塔[国宝] もと1143年、待賢門院の願により創建されたが鎌倉時代に再建。待賢門院は藤原公実の娘、鳥羽天皇の皇后、崇徳天皇・白河天皇の母。
■国宝館 興福寺の各堂に安置されていた仏像の大部分など2万点を収蔵。63点におよぶ国宝・重文が展示。
◆旧山田寺仏頭[国宝] 昭和12年東金堂修理の際、本尊の台座の下から発見された白鳳時代の遺品。銅造、もと飛鳥山田寺の仏像の頭部。白鳳時代のもっとも優れた作例。
◆十大弟子立像[国宝] 釈迦の10人の弟子の肖像で脱活乾漆造。もと西金堂に安置されていた。6体が現存する。
◆八部衆立像[国宝] 十大弟子立像とともに西金堂に安置されていた。脱活乾漆造。8体のうち五部浄を除き、天平時代の姿を残している。とりわけ3面6臂の阿修羅は特に有名。八部衆とは仏教成立以前の古代のインドの神であったが、釈迦に教化され、仏法の守護神になったという。
◆無著菩薩立像[国宝] 運慶の指揮下に1208〜13年にかけて作られた鎌倉彫刻の傑作。大仏師運慶の実力が偲ばれる。北円堂の世親菩薩と対をなす。
◆天燈鬼・竜燈鬼[国宝] 1215年、運慶の子・康弁の作。玉眼入り寄木造。もと西金堂にあった。
◇猿沢池 もと興福寺南大門前の放生池。周囲約360m。むかし、帝の寵愛が衰えたのを嘆いて、この池に身を投げた采女の伝説で知られる。猿沢池に入水した采女の霊を祭って、池畔に社殿を建立したところ、身を投げた池を見るにしのびず、社殿は一夜で向きを変えたという。
◇南都七大寺 東大寺・興福寺・元興寺・大安寺・薬師寺・西大寺・法隆寺または法隆寺を除き唐招提寺をくわえることもある。
◇能楽は興福寺が育てた 謡曲・能楽は、興福寺を中心として勃興。興福寺の西金堂が行う修二会(東大寺とは別)の薪迎えの行事に、大和一円に散在していた芸能の座が集められ猿楽能が興行された。これを一般に薪猿楽、薪能というようになった。もともと、能は猿楽に、田楽、延年舞、白拍子能、巫女の能などをあわせて、足利初期に完成したものであるが、興福寺の修二会をはじめ、春日若宮祭りなどに興行されて、のち京都に進出し成長した。能楽は興福寺に育てられたといってよい。
◇大和猿楽四座 円満井座(興福寺支配・金春座)、坂戸座(法隆寺支配・金剛座)外山座(山田寺支配・宝生座)、結城座(広瀬観音寺支配・観世座)
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