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京都観光タクシー同友会の観光案内

【北野天満宮】祭神・菅原道真》075-461-0005

北野天満宮の梅 2011年春

2011-3-9 本殿前の紅梅 2011-3-9 東門付近 2011-3-9 東門付近
2011-3-9 御土居の梅 2011-3-9 梅園 2011-3-9 梅園
2011-3-9 梅園の梅 2011-3-9 梅園の梅 2011-3-9 参道東側の枝垂れ梅


北野天満宮の紅葉 2010年11〜12月

2010-12-4 2010-12-4 2010-12-4
2010-12-4 2010-12-4 2010-12-4
2010-11-12 2010-11-12 2010-11-12
2010-11-26 2010-11-26 2010-11-26

 菅原道真(すがわらのみちざね)が903年(延喜3)、太宰府(だざいふ)で死んでから、京都に雷・地震など災厄(さいやく)があいついだため、これを菅原道真の(たた)りであるとして947年(天暦元)右京七条に住む多治比文子(たじひのあやこ)らが(ほこら)を営んで祭ったのが起こりと伝える。後、藤原師輔(ふじわらのもろすけ)が社殿を造営し、御霊信仰に加えて、文学の神として広く上下の信仰を集めた。現在の建物の多くは1607年(慶長12)、豊臣秀頼が片桐且元(かたぎりかつもと)を奉行として造営したもの。

楼門 本殿 三光門
三光門・月 三光門・日 三光門・星?
地主神社 絵馬堂 宝物館

◇北野 大内裏(だいだいり)の北の地であるから北野。大内裏で用いる飲料水は北山を水源とし、この地を通過したことから、この地域には一般の人々とが居住することが禁じられたという。この地にはまた、雷神(らいじん)を祀って五穀豊饒(ごこくほうじょう)祈念(きねん)したことが史上にみえ、北野には天神を祀った祠があったものと想像される。雷神は農作に水をもたらす神として、古代にはもっとも崇敬されたが、平安時代には雷火の猛威は非業(ひごう)に死んだ人々の怒りをあらわすものとして、御霊信仰と結び付く。とくに、道真の死後、雷火の異変が多かったことから、道真の霊が北野に祀られるようになった。

伴氏社(とものうじのやしろ)鳥居[重要美術品] 京都三鳥居の一つ。蓮の花びらを彫刻した台座と、笠木(かさぎ)額束(がくづか)が食い込んでいるのが特徴。

参道 参道は楼門をぬけて左に折れ本殿にたどり着く。参道を真っすぐに進むと本殿の東北に地主神社があり、それがかつての天神であったのかも?

■中門(三光門)[重文] 前後に軒唐破風(のきからはふ)を設け、さらにその上に千鳥破風(ちどりはふ)を付けた特殊な唐門。背面に三日月・日輪・月輪の三彫刻があることから『三光門』ともいう。特に中央冠木(かぶき)上の唐獅子の蟇股(かえるまた)は見事。

◆石灯籠 中門を入って右手に立つ六角形の灯籠。渡辺綱(わたなべのつな)の寄進と伝える。形状が古風なため、茶人に好まれ、俗に北野型ともいわれる。

■本殿[国宝] 本殿と拝殿が軒の低い石の間で結ばれ、拝殿の屋根に千鳥破

風、向拝(こうはい)には唐破風。屋根の構造が複雑なことから八棟造(はちむねづくり)ともいわれ、この形式が日光東照宮に継承されため、北野天満宮本殿が最古の権現造(ごんげんづくり)となる。

■絵馬所 長谷川等伯(はせがわとうはく)『土佐坊昌俊図』、曽我直庵『神馬図』、海北友松(かいほうゆうしょう)『牽牛織女図』等、桃山時代から江戸中期に活躍した著名な画家の絵馬が多い。

■宝物館 北野天神縁起絵巻[国宝]をはじめ、数多くの社宝を収蔵。

天満宮神使の牛 梅苑(06/3/26) 御土居の梅(06/3/26)

◇お土居(どい)と梅苑 お土居は1587年(天正15)秀吉が京都の区画整理を行った時、洛中と洛外を区分するために築いた土塁。天満宮の梅苑の奥に保存されている。梅苑は梅の咲くころ開苑されるが、50種2,000本の梅の木がある。

◇天満宮と牛 北野天満宮の神使(しんし)は牛。その理由はよく分からない。一説に道真が生まれた年が(うし)(どし)にあたるとか、亡くなった際に、遺体を乗せた牛車(ぎっしゃ)が途中で動かなくなったので、その場所に埋葬したなどともいわれる。また一説に道真は天満大自在天(てんまんだいじざいてん)神ともいわれ、その像容が八臂(はっぴ)三眼で白牛に乗るといわれるところから、道真も牛に乗るものと信じられたのではないかと思われる。

◇北野大茶会の碑 1587年(天正15)10月1日、秀吉は茶道に関心のあるものすべてに呼びかけて境内の松原で催した大茶湯。参加者は1000名にのぼる。

◇天満宮と狛犬(こまいぬ) 狛犬とは守護と装飾のため神社仏閣の参道におかれた獣形の像。口を開いたものを獅子(しし)(角がない)、角があるのを狛犬(こまいぬ)というが、両者は混同して狛犬と呼ばれている。()(向かって右)・(うん)(向かって左)像になっていると思われがちだがあまり関係がない。そもそも狛犬は神殿や建物内にいたもので、神社の参道などにおかれるようになったのは、江戸中期からと思われる。史上では日光東照宮の参道に狛犬を奉納する許可をしたというのがみえる程度である。京都市で最も古い狛犬は安井金毘羅宮のもので、1767年の奉納。次に北野天満宮の1810年であり、また、今出川通に面した狛犬は京都府最大で昭和9年奉納の青銅製。ちなみに、天満宮の狛犬の中には男性のシンボルが彫ってあるのもある。

◇天神さん 菅原道真が生まれた日、太宰府に流された日、死亡の日、これがみな25日だったというので、北野天満宮の縁日は毎月25日。

◇梅花祭 菅原道真が亡くなった2月25日に行われる。神饌(しんせん)に梅花を添えるのでこの名がある。

瑞饋(ずいき) 毎年10月1〜4日。芋茎(ずいき)で屋根を葺いた神輿をかついで巡行する祭

参考資料 昭和京都都名所図会 竹村俊則著より

【北野天満宮七不思議】

◆影向松 表参道の大鳥居(一ノ鳥居)をくぐってすぐ右手に、石の玉垣をめぐらせた一本の松がある。毎年、初冬より節分までの間に初雪が降ると、天神さまが降臨され雪見の歌を詠まれるという伝説があり、その時は硯・筆・墨をとりそろえてお供えし初雪祭を行う。菅原道真公は天台座主尊意より仏舎利を伝播し、常に襟に掛けて護持されていたが初雪の降った日にこの掛舎利が大宰府より飛来してこの枝にかかったと伝えられ、以後この松を影向松と呼ぶようになった。

◆筋違いの本殿 楼門をくぐった正面には地主(じぬし)神社があり、本殿はやや西よりに位置している。この神社は北野天満宮御鎮座以前の承和3(836)に祭られており、天暦元年(947)69日天満宮創祀の際、地主神社の正面を避けて建てられたため。

◆星欠けの三光門 御本殿前の中門は、日・月・星の彫刻があるために三光門と呼ばれるが、一説にこの彫刻は、日と月と三日月はあるが星はないといわれる。これは平安京造営当初の大内裏が千本丸太町にあったため、旧大極殿が天満宮の南方位に位置し、帝が当宮を遥拝される際に、この三光門の真上に北極星が瞬いていたので星は刻まれていないのだと伝えられる。

◆大黒天の灯籠 三光門の少し東南に、安政2(1855)10月、河原町正面にあった「大黒屋」を中心とする質商組合によって奉献された石燈籠がある。台座には大黒様の像が刻まれており、この大黒様の口(または頬とも云われる)に小石をのせて落ちなければ、その小石を財布に入れて祈るとお金に困らないといわれる。

◆唯一の立牛 菅原道真公は、承和12(845)625日の御誕生であるが、この年は「丑歳」に当り、且つ菅公の伝説には牛にまつわる話が数多くあり、牛は、天神様の神使となっている。中でも延喜3(903九州)大宰府で御生涯を閉じられた菅公の御遺骸をお運びする途中、車を引く牛が座り込んで動かなくなったため、近習達が已む無くその付近の寺院、安楽寺に埋葬したのだが、この故事により境内各所にある神牛の像は臥牛の姿となっている。ところが、拝殿欄間の彫刻には、当宮では珍しく立った牛の姿の神牛が刻まれている。何故一頭だけ立像の牛があるのかは神秘的で今もって謎とされている。

◆裏の社 ふつう神社は前拝のみであるが、当宮の本殿は背面にも御后三柱という御神座持つ。道真公の御神座と背中合わせの形で北向きに祭られているのは、天穂日命(菅公の祖先神)・菅原清公卿(菅公の祖父)・菅原是善卿(菅公の父)の三柱の神。明治維新までは上記の影向松に飛来した仏舎利を祭っていたので、この御神座の前にある門を舎利門と呼んだ。その昔、天満宮の参拝は、この御后三柱も含めて礼拝するのを常とした。

◆天狗山 天満宮の乾方位すなわち境内西北の角には、天狗山と呼ばれる小山がある。室町時代の『社頭古絵図』(北野参拝曼荼羅)には、ユーモラスな鳥天狗が描かれている。大昔、この辺りには天狗が出没したのかもしれない。この場所には往古より牛祠が祭られ、一願成就の祠として信仰を集めたが、現在、この牛祠は南西の角に遷座している。

北野天満宮公式サイトより

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