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京都観光タクシー同友会の観光案内

【金閣寺(鹿苑寺)】《臨済宗相国寺派》℡075-461-0013

金閣寺の紅葉 2010年11月

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 1397年(応永4)、足利(あしかが)(よし)(みつ)が西園寺家の山荘を譲り受けて造営した北山(きたやま)殿(どの)。金閣を中心とした庭園・建築は極楽浄土をこの世に現したといわれ、()小松(こまつ)天皇(一休の父)を招いたことは有名。義満は中国の明使とここで引見し、「日本国王」の称号を受け、貿易を盛んにして文化の発展に貢献したところ。有名な北山文化を生み出した。義満の死後、遺言によって禅寺に改め、義満の法号にちなんで鹿苑寺とした。はじめは多くの堂塔があったと伝えているが、応仁・永禄の兵火によって金閣を除くおもな建物を焼失した。

金閣参道 参道の菩提樹 金閣 04_11_21
金閣 04_12_31 庭園(特別名勝・特別史跡) 陸舟の松

舎利(しゃり)殿(でん)(金閣) 宝形造(ほうぎょうづくり)の三層楼閣(ろうかく)で、頂に鳳凰(ほうおう)をのせている。昭和25年に修行僧の放火で焼失。昭和30年に復元。初層は寝殿造(しんでんづくり)風で法水院、二層は鎌倉時代の武家造で潮音洞、三層は花頭(かとう)(まど)を設けた中国風の禅宗仏殿で究竟頂とよばれ、室内には仏舎利を安置。昭和62年、約7億4千万円をかけて金箔を張替。金箔の厚さは従来の5倍、10.8cm四方、約20万枚、約20kgの金を使用。また、平成15年春、屋根の葺替をおこなった。葺替は?葺(こけらぶき)(さわら)の薄い板を何枚も重ねる葺き方という。

『義満は地上の楽園・西方浄土を意識して北山殿を建立。金箔を張ったのも決して成金趣味ではない。池に張り出すので湿度が上がる。湿度に強い漆を塗ったが、紫外線に弱い。そこで、金箔を張って紫外線を遮り、長持ちさせようとした。金の永遠の価値をみぬいていた。仏は必ず金色、黄金の輝き、永遠の命の象徴。』相国寺派管長・有馬賴底のお話より。

(りく)(しゅう)の松 義満お手植えの松といい、見事な舟形をしている。船首は西に向き、西方浄土に向かっているともいわれている。善峰寺の遊竜の松、大原宝泉院の五葉松(近江富士)とともに、京都三松の一つ。

庭園[特名・特史] 室町時代の代表的な池泉回遊(ちせんかいゆう)庭園。鏡湖池(きょうこち)を浄土曼陀羅に描かれた七宝池に見立て、極楽浄土の様相を表そうとしている。金閣から南に向かって左に鶴島、右に亀島、その奥に葦原島。西へ順に出亀島、入亀島、淡路島、東に夜泊石という。当時の諸大名がきそって石を献納してその名が付けられた畠山石・赤松石・細川石などの名石が配されている。

銀河泉 巌下水 龍門の滝
安民沢 茶室・夕佳亭 不動堂

銀河(ぎんが)(せん) 義満がお茶の水に用いたという

巌下水(がんかすい) 義満が手を清めたと伝える。

龍門の滝 鯉が滝に登ると龍になるといわれる中国の故事「(とう)龍門(りゅうもん)」に因んだ「鯉魚石(りぎょせき)(水分石)」がおかれる。鯉が竿に登ると「鯉のぼり」。滝をのぼる本物の鯉のように、男の子が元気に大きくなることを願って、5月5日「こどもの日」家族のものがたてる。

安民沢(あんみんたく) 島中に「白蛇の塚」と称する石層塔を安置。白蛇は古来、西園寺家の鎮守とされた。この池は日照が続いても涸れないという。

夕佳亭(せっかてい) 明治の7年の再建。茶人・金森宗和が後水尾法皇の臨幸にあたって作った茶室という。夕日に映える金閣が殊に佳いと言うことから名づけられた。萩の違い棚と南天の床柱で有名。1997年、解体修理がおこなわれた。茶席の前の石灯篭と富士型手水鉢は、8代将軍足利義政が愛用したものと言われ、「貴人(とう)」は身分の高い人の椅子という意味。

不動堂 金閣寺創建より古く、西園寺家が信仰していたものと思われる。鎌倉初期とみられる本尊・石造不動明王像を安置。ご開帳は節分と8月16日。

衣笠山 山の名の起こりは、宇多法皇が真夏に雪見を思い立ち、山に白い絹をかけられたのによると伝える。

参考資料 昭和京都都名所図会 竹村俊則著より

奇妙な建築・金閣 金閣の1階は寝殿造。寝殿造に住む人間は、天皇であり貴族。その寝殿造の上に武家造の2階が乗っている。つまり、1階に住む人々(貴族)よりも2階に住む人々(武士)の方がエライ。2階・3階には金箔を施しているが、1階にはない。義満自身は将軍も大臣も辞任し、出家しており禅僧。3階の中国風の禅宗仏殿は、誰を示しているのか明白に思われる。1401年、義満は明との国交を再開して貿易につとめ、それより毎年、明使を引見し、「日本国王」の称号を受けたのは、この北山殿においてである。すなわち、金閣は、義満が公家社会と武家社会の上に立つ最上の王者であることを具象化した建物ではないか。そして、金閣の頂に“聖天子が現れると世に出るという、想像上のめでたい鳥”鳳凰がとまっている。この時代の人々にとっては、その「聖天子」が誰を指すのか明白だったはずである。  『逆説の日本史』井沢元彦著より

□金閣寺の修復 風化が進んだ金箔と漆のやり替えを、1986年初めに着工する。課題は紫外線を通さない金箔の採用で、従来の金箔の五倍の厚さ(五倍箔)が求められた。普通の厚さの金箔には、微細な穴が無数に開いていて紫外線を通してしまう。五倍箔の製造は技術的に難しかったが、これをクリア、また、分厚い金箔をつなぎとめる箔下漆の開発にも成功し、修復は1987(昭和62)10月に完成。使われた金箔は20万枚、漆は1.5トンに及んだといわれる。

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