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京都観光タクシー同友会の観光案内

【渉成園(枳殻邸)】075-371-2961

 東本願寺の別邸で、もとは生垣に枳殻(からたち)が植えてあったため、枳殻邸と呼ばれる。この地は、もともと平安時代初期(9世紀末)嵯峨天皇の皇子・左大臣(みなもと)(とおる)が、奥州塩釜の景を移して難波から海水を運ばせた六条河原院苑池の遺蹟と伝えられる。その後、1641(寛永18)年、本願寺13宣如(せんにょ)上人が徳川家光からこの地を与えられ、1653(承応2)年石川丈山と謀って庭園を築き、隠退所とした。1858(安政5)年と1864(元治元)年の二度の火災によって諸殿は焼失したが、まもなく禁裏より御車寄を賜って表玄関とし、あわせて建物の整備を行った。

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高石垣 臨池亭 滴翆軒
檜垣の燈籠 代笠席 亀の甲の井戸
園林堂 傍花閣 碧玉の石幢
五松塢 臥龍堂 源融ゆかりの塔
縮遠亭 塩釜 回棹廊
閬風亭 侵雪橋 印月池

■渉成園十三景と諸建築

  臨池亭(りんちてい) 1884(明治17)の再建。滴翆軒と吹き放しの廊下でつながり、池に臨んで建てられていることからその名がある。主室は八畳二間で、二方に縁をめぐらせて、さらに東側全面に幅一間の縁を張り出し、前面の池との一体感を強調する。

  滴翠軒(てきすいけん)(十三景の一) 1884(明治17)の再建。書院群の北端に位置し、池に南面して建てられている。「滴翆軒」の名は、その池に落ちる小滝から。池の背後には「キリシマヤマ」と呼ばれる築山があり、南側の生垣とともに他の庭から切り離された作りになっている。

  代笠(だいりつ)席 1888(明治21)の再建。庭園の北部に生垣をめぐらせ、南面して建てられた煎茶席。全面は間口が三間あり、深さ半間の上間と小縁が設けられ、内部は四畳半二室が東西に並んでいる。「代笠席」とは、人里離れた地を訪れた旅人が「笠代わり」に雨宿りする席という意味。

  園林堂(おんりんどう) 傍花閣に対応する持仏堂。「園林」とは元来、中国宮廷に設けられた大規模な庭園の意味だが、仏典では「浄土」を表す。堂の正面軒下には南北朝の禅僧・虎関師錬の揮毫による「園林」の扁額。また、室内は、棟方志功42面の襖絵で飾られている。

  偶仙楼(ぐうせんろう)(十三景の九) 蛤御門の変で焼失。

  ()(あん) 1957(昭和32)の再建。二階建ての茶室。階下は七畳で、西側に床をかまえ、二方に縁がつく。階上は主室四畳半に、台目三畳の次の間を付しています。二方の肘掛け窓からは眺望を楽しむことができる煎茶席。

  傍花閣(ぼうかかく)(十三景の二) 園林堂(持仏堂)に対する楼門の形でつくられた中国風の建物で、重層、入母屋造、杮葺。閣上の天井には石川丈山の創意になる磁石形の十二支を描き、軒には絵馬形の額、狩野永納の筆になる熊谷直実・平敦盛の像を描く。

  侵雪橋(しんせつきょう)(十三景の六) 印月池の西北から縮遠亭のある島へ渡る木造反り橋。頼山陽は、「渉成園記」の中で雪の積もった橋のありさまを玉龍にたとえて表現している。

  縮遠亭(しゅくえんてい)(十三景の七) 池中の中島にある数奇屋風の茶席。入口の土間には飾り竈を据え、茶室に上がる板縁がある。亭前のつくばいは「塩竈の水鉢」といわれ、多宝塔(鎌倉)の塔身上部をうがって水鉢としている。また、亭前下方の洞穴は、源融が塩を焼いた塩竈の跡と伝える。

  五松塢(ごしょうう)(十三景の五) 侵雪橋を縮遠亭の建つ島へ渡ったところの北側のあたりを指し、本来は五株の松あるいは一幹五枝の松が植えられていたことから名づけられた。「塢」とは小さい土手をいう。古図面から豊臣秀吉が築かせた「御土居」の跡であるという説が有力。

  回棹廊(かいとうろう)(十三景の十二) 1884(明治17)頃の再建。北大島と丹楓渓とを結ぶ木橋。中央の唐破風屋根の天井部には掛け釘が設けられ、かつては夜半の来客のおり金燈籠を吊って火を灯した。

  紫藤岸(しとうがん)(十三景の八)  回棹廊の東側、印月池にせり出すように藤棚がある。当初は野生であったといわれている。

  丹楓渓(たんぷうけい)(十三景の十三)  回棹廊の北端から印月池北岸沿いの園路の両側に楓が植えられ、紅葉の渓谷を模した一帯。

  臥龍堂(がりゅうどう)(南大島)(十三景の四) 印月池に浮かぶ南大島のことを臥龍堂と称する。元来はこの島に建てられていた小さな鐘楼堂のことを指した。かつては漱枕居に集まった茶会の客人に、縮遠亭へと船で向かう刻限を告げる鐘を鳴らしていた。現在は礎石を残すのみ。

  印月池(いんげつち)(十三景の三)  東山を借景とする池泉舟遊式の庭園。1865(慶応元)年から明治初期にかけてほぼ復興され、池水・石組は創始のころとほとんどかわらないという。水は高瀬川の水を引き入れていたが、明治以降は疎水の蹴上舟留から約50mの落差を利用して引かれた本願寺水道の水と地下水を併せて使用。国の名勝。

  閬風亭(ろうふうてい) 1865(慶応元)の再建。殿舎の南端の大広間。1880(明治13)明治天皇がご休息に使われた場所として有名。平屋建ての書院で、園内を一望に見渡せる景勝の地を占めている。内部には明治天皇が行幸されたときの玉座となった嘉楽の間や丈山の額をかかげる。

  漱枕居(そうちんきょ)(十三景の十一)  池の西南岸。丈山好みの茶席で、内部は四畳半と三畳台目の畳敷とし、天井は化粧屋根裏、土間に一畳台目の張り出しがあり、袋棚と違棚をつけている。小襖の画は狩野永納の描いた茶摘みの図。

  双梅檐(そうばいえん)(十三景の十一) 紅梅・白梅が20株ほど植えられた梅林。

■渉成園の名物・景物

  高石垣(たかいしがき) 西門を入って正面にある高石垣、石橋のような長い切石や、礎石、石臼、山石や瓦など多様な素材を組み合わせている。

  檜垣(ひがき)の燈籠 滴翆軒の東側に建つ石燈籠で、檜垣という銘の由来については、はっきりとしたことは伝えられていない。

  亀の甲の井戸 上から見ると亀の形に石組みが成され、亀の甲にあたる部分が掘り込まれて中心に井筒が埋められている井戸。

  獅子吼(ししく) 印月池北東岸の築山の石組みの下部に注水口が穿たれており、獅子吼と名付けられている。古くは高瀬川の水が引かれていましたが、現在は地下水を、流れとしている。

  蘆庵(ろあん)の春日燈籠 茶席「蘆庵」露地に建つ。江戸時代の制作。六角形の笠の屋根には降り積もった雪が刻みだされている。

  源融ゆかりの塔 源融の供養塔といわている九重の石塔で、塔身には四方仏が刻まれ、基礎の格狭間には蓮華が彫刻されている。鎌倉中期の制作と推定され、九重目の本来の笠は失われ、宝篋印塔の笠で代用されている。築庭にあたって、宇治にある塔の島の景色を写したものといわれている。

  塩釜の手水鉢 全国にある「塩釜の手水鉢」の手本となるもので、渉成園の景物として最も重要。鎌倉時代の制作。石造宝塔の塔身を転用したもの。

  碧玉(へきぎょく)石幢(せきどう) 石燈籠と違って、笠の部分に蕨手がなく、竿に節が無いなどの特徴を備える。石燈籠で火袋にあたる部分は平面が六角形の仏像を安置するための龕となっている。

  塩釜 形が塩を製造する塩釜とそれを屋根で覆う塩屋のありさまに似ていることから塩釜と呼ばれている。本来は茶会が催される際の水源であったと思われるが、今は水が枯れている。

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