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【桂離宮】

 桂離宮は1615年頃から、八条宮智仁親王とその子智忠親王親子二代にわたって、約40年を費やして造られた別荘で、その別荘は簡素にして明快な日本建築と庭園の造形美術を象徴する不朽の名作といわれ、日本民族の文化的所産とまでもいわれている。桂離宮の美を世界に紹介したドイツの大建築家ブルーノ・タウトは昭和85(1933)始めて日本に上陸した翌日に桂離宮を訪ね、その美に感動して 『眼は思惟する』 と称賛したという。

八条宮家の創立と秀吉、家康
 桂離宮の創始者・八条宮智仁親王は、後陽成天皇(107)の弟に当たり、後陽成天皇の皇子の後水尾天皇の叔父にあたる。天正16(1588)10歳のとき、関白・豊臣秀吉の養子として迎えられたが、翌年、秀吉に実子鶴松が生まれたので、天正18(1590)新たに3,000石の八条宮を創立した。大阪夏の陣で徳川家康が豊臣家を滅ぼし、以来江戸時代になる1615年、この動乱の真ただ中に幕府から八条宮に領地として桂の地が与えられ、桂離宮は皇族と権力者秀吉、家康という関係の中で産声を上げることとなる。

◆二代智忠親王と加賀百万石
 二代智忠親王は寛永6(1629)智仁親王が薨去されたので八条宮家を継ぐこととなった。寛永19年、将軍家の勧めで外様大名、加賀・前田利常の娘、富姫と結婚。この加賀200万石の大藩との縁組によって、八条宮家は経済的に強力な後ろ盾ができ、離宮築造の用として多額の資金が贈られ、なかば公に桂離宮の改造工事が進められることになり、桂離宮は現在のような規模になる。

◆避暑と月見のための別荘
 桂離宮の書院群の建物は、主として夏の別荘であり月の名所でもあった所で、酷暑には涼風を取り入れ、強い夏の太陽の直射をさけるため軒を深くし、広い縁側を設けている。秋には観月に都合のよいように特に19度の角度を保って後ずさりの後退型に造られている。それは、月の出の方位を考慮に入れたものに外ならない。そして、東側の桂川の氾濫に備えて高い床の上に建てられるなど床下は防湿と氾濫のときの通水を考慮した簀の子ばりの建築になっている。実用性と趣味と美観が一体をなした心憎いほど整ったデザインである。

◆西欧手法の庭園
 庭園ついては、一項目で扱うことなど不可能だが、ごく簡単にふれておきます。  桂離宮の庭園は、日本庭園が古来、自然風景式な庭園であったのに対して、西欧文化の庭園の手法が数々が指摘できる。従来は自然石や、樹木や、草などを用いて空間を自然に順応して自然の美しさを出すという作庭方法だったが、桂離宮の庭園では、切石や畳石を直線的に配列するかと思えば、斜めに配置して遠近感を出したり、手水鉢や石灯籠を数多く露地の先端において見透線を構成したり、すこぶる明快なデザインは新しい造園の手法であり、西欧手法の影響が指摘できる。
※遠近法(パースペクティブ)人間の目の錯覚を利用して、距離感を狂わせるトリックで先細りの空間を作ること。
※見透線(ビスタ) →目の前がすっきり奥まで見通せる仕組みのことで、遠近感を強調してみせること。

◆桂離宮の造営者は?
 智仁親王とその子智忠親王、親子二代にわたって造られた桂離宮の真の造営者は誰なのか。八条宮智仁親王自身なのか。当時盛んであった茶の湯、キリスト教の西欧文化の痕跡などから、学説は分かれているが、桂離宮は小堀遠州を最高差配とした同流派の人々によって今日の姿にちかく、増・改築されたもと推測される。

◆八条宮家のその後
 八条宮は天正18(1590)、智仁親王が創立されたのち、その子二代智忠親王に実子がなく後水尾天皇の皇子を跡継ぎとする。後、京極宮となり、さらに桂宮と変わり、明治14年、第11代淑子内親王を最後として断絶する。桂離宮は、その後宮内省()の管理するところとなり、さいわい保護政策が行きとどき、おおむね原型のまま今日に及んでいる。※内親王→天皇の皇女

◆桂宮家と二条城本丸御殿
 二条城本丸は天明の大火(1788)に消失、その後ながらく再建はならなかった。幕末には将軍慶喜の住居として本丸御殿が建てられたが、破損が甚だしいため撤去。その後、宮内省()の管理にあった、断絶した桂宮家(八条宮)の京都御所・今出川御門内の桂宮邸を、明治26年二条城本丸に移築し、これを本丸御殿とした。宮家の遺構として完全な形で残されている唯一の建物で重要文化財。

◆桂離宮と曼殊院門跡
 比叡山西塔に始まる曼殊院は、智仁親王の次男、智忠親王の弟、良尚法親王の時当時御所の北にあった寺を修学院離宮に近い現在の地に移した。書院は、桂離宮の書院群と類似しているため、「小さな桂離宮」ともいわれ、桂離宮を現在の姿に完成させた兄・智忠親王の協力がかなりあったものとみられる。書院の違い棚や書院の間取りに遠近感を強調する手法などがみられる。※法親王→仏門に入った皇子

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