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【春日大社】《祭神、
710年(和銅3)、藤原不比等が藤原氏の氏神とされる常陸国鹿島の神・武甕槌命を勧請して、平城京鎮護のため春日山麓に祭り、春日の神と称したのにはじまる。のち、下総国香取の経津主命、河内国枚岡の天児屋根命を迎え、比売神を加えて4神を祭る社殿を造営し、官社として認められた。以後、都が京都に移っても朝廷の崇敬が厚く、また、興福寺と密接に結びつき、その盛衰をともにした。興福寺の衆徒が春日大社の神木を奉じて朝廷に強訴したことはよく知られている。
鹿の手水 | 車舎 | 参道の石燈籠 |
本殿 | 回廊の釣灯籠 | 直江兼続奉納の釣灯籠 |
■一ノ鳥居[重文] 典型的な春日鳥居。現在のものは江戸時代の建立。右手奥に鎌倉時代、春日明神が現れて万歳楽を舞ったという『影向ノ松』がある。
■宝物殿 本社および若宮神社の神宝類を陳列。
◆金地螺鈿毛抜形太刀[国宝] 平安時代の官人の佩刀。柄に毛抜形の透があり、鞘は金沃懸地に螺鈿で竹林に雀。意匠・技術とも絶品。
◆赤糸威鎧2領[国宝] 鎌倉時代の作。華麗な文様と精巧な出来ばえで有名。
◆舞楽面12面[国宝] 木彫彩色、藤原末期から鎌倉初期の作が多い。
■車舎[重文] 1632年の再建。二ノ鳥居の手前、勅使がここで車を降り、車を納めたところ。
■着到殿[重文] 室町時代の再建。二ノ鳥居をくぐり、春日祭の勅使は、ここで到着を記録、神前に詣でる準備を整える。
■南門[重文] 室町時代の建築の楼門。創立当初は鳥居であったが、平安末期に楼門にかえたという。
■春日大社本殿[国宝] 一間社春日造4棟の本殿が並ぶ。江戸時代の建築。創立以来、57回の式年造替(一定の年月に社殿を新しく建て直す。普通、造替は20年に一度)を経て、平安当初の姿を踏襲する。
■移殿[重文] 式年造替のとき神霊を移すための建物。
◇三蓋山 若草山の別称である三笠山とよく混同されるが、春日山の西峰にあたる別山。標高283m、円錐形の神名備の姿で、古くから神山として仰がれた。山頂に春日大社の本宮神社を祭っている。
◇若草山(三笠山) 1月15日の若草山焼きで有名。東大寺と興福寺の境界争いから境界をはっきりさせるために起こった行事と伝える。
【鹿について】
奈良公園の鹿と修学旅行生 |
◇奈良公園の鹿 奈良の鹿は春日大社の神の使い。奈良公園に約1,000頭が生息、天然記念物として保護されている。春日大社の参道脇に鹿苑があり、鹿は朝ここを出て、夕方に鹿守のラッパを合図に戻る。
◇鹿と馬酔木 鹿は梛と馬酔木がにがて。そのため奈良公園は梛と馬酔木の群落が美しい。寺の境内に馬酔木が多いのは、動物を寄せつけないため?
◇『鹿に紅葉』の石子詰伝説 春日大社の神使・鹿を殺せば死んだ鹿といっしょに穴へ入れられ、石を投げ込む“石子詰"の死刑と定まっていた。ある日、13歳の少年が誤って鹿を殺し、石子詰の刑にされた。これを悲しんだ母親が供養にと植えたモミジの木が菩提院[興福寺塔頭]にあり、鹿とモミジの取り合わせはここから出たという。
◇奈良の鹿は鹿島から 常陸国の縁起譚によると、春日神社の祭神が常陸の鹿島から鹿に乗って空を飛び奈良の春日山に到着したという。そのため春日の神のお使いが鹿になっている。
◇鹿と占い 藤原氏の始祖は中臣鎌子(藤原鎌足)で、中臣とは神と人の間に仕えるという意味。中臣氏は元来、神職の家系で鹿の肩甲骨を灼いて占いをしたという。この占いの神事は関東地方の神社に多く残っており、占いをする神職の家系・中臣氏の拠点は常陸にある。春日大社を創始した藤原・中臣氏とはまったく関係ないという。にもかかわらず、奈良公園には鹿がいる。占いのため飼っていたとも思えないが、古代の風習の名残かも?
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