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【笠置寺】《真言宗智山派》0743-95-2848
大友皇子または天武天皇の開基と伝える。本尊弥勒石などの磨崖仏から推測すると奈良時代、東大寺の良弁や実忠が参籠したときに、寺として整えられたという。その後、鎌倉時代※解脱上人貞慶によって弥勒信仰の中心道場とされたことで寺運は大いに振るった。1331(元弘元)年、後醍醐天皇の行宮となり、そのときの兵火で多くの堂宇を失った。現在は本坊のほか重源寄進の銘を残す鐘と数堂を残すにすぎない。
※解脱上人貞慶(1155〜1212) 海住山寺参照
山門 | 本坊 | 銅鐘 |
本尊・弥勒石 | 磨崖石仏 | ゆるぎ石 |
笠置山からの木津川 | 二の丸跡 | 後醍醐天皇行宮跡 |
■本坊
■十三重塔[重文]
◆銅鐘[重文] 重源寄進の銘を残す。
◇笠置山 標高288m。※元弘の乱における後醍醐天皇の行宮となった山で、笠を伏せたような姿をもつ。全山花崗岩からなり、山中いたるところ奇岩怪石が見られる。山頂付近は弥勒石など巨大な磨崖仏が多く、弥勒世界を求める人々に崇敬された霊地。
※元弘の乱→1331(元弘元)年、後醍醐天皇が正中の変につづき鎌倉幕府討伐のため起こした政変。計画が六波羅探題にもれ天皇は8月笠置山に逃れたが1カ月で落城、翌年隠岐に流された。
◆磨崖石仏 弥勒石・文殊石・薬師石や金剛界石・胎蔵界石・虚空蔵石などがある。なかでも弥勒信仰の中心、弥勒石は高さ15m、幅12mの石面に刻まれていたが、元弘の乱で消滅し、わずかに舟形光背を残す。また虚空蔵石は奈良時代の磨崖仏で、高さ13m、幅7mの岩に線刻の虚空蔵菩薩が残る。
◆ゆるぎ石 元弘の乱で武器として用意されたもので、片手で動くことからこの名がある。
資料 昭和京都都名所図会 竹村俊則著より
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