京都観光タクシー同友会の観光案内
【観音寺(普賢寺大御堂)】《真言宗智山派》0774-62-0668
現在普賢寺という寺は存在しない。歴史的に普賢寺は、天武天皇の勅願により義淵僧正が創建し、薬師・釈迦仏を安置したことにはじまる。後、744年(天平16)に良弁僧正が伽藍を整えたとも、東大寺二月堂を創建した実忠和尚が復興したともいわれている。この時、十一面観音像を本尊とした普賢教法寺と改称したと伝える。その後も藤原良房、基経など藤原氏の庇護を受け、興福寺の末寺として寺運盛んであったが、中世の戦乱のたびに衰微し、現在は十一面観音像を安置する大御堂を残すだけとなり、江戸時代に入って観音寺と改称されたという。
参道 | 本堂 | 竹送りの碑 |
■本堂 現在の本堂は昭和28年の再建で、他に庫裏と鎮守社があるにすぎない。もとは法相宗であったが、今は真言宗智山派の寺として智積院に属す。
◆十一面観音立像[国宝] 本堂に安置。木心乾漆造に金箔押し、天平時代に造立された等身大の十一面観音立像。普賢寺の本尊といわれる仏像で、非常によく似た観音像が奈良桜井市の聖林寺に安置されており、両者とも国宝に指定されている。この十一面観音立像の存在は、普賢寺の盛衰を見るとき奇跡に近いものを禁じえない。
◆塔址 境内西方の丘陵上にあり、古瓦が散在している。いずれも奈良末期より平安初期の作になる布目瓦で、その中央に塔の中心礎石と思われる径1.5メートル、中央に丸いくぼみのある大きな石があり、おそらく普賢寺の旧伽藍の遺跡と思われる。
■地祇神社 「くにつかみのやしろ」とも称する。現在の祭神は大国主命・大山祇命・神功皇后となっている。地祇とは天つ神に対する国つ神をいい、正しくは地主神であり、もともとは、この地に栄えた先住民がその祖神を祀ったのが起こりであろう。創祀以来、朝野の崇敬あつく、延喜の制には小社に列せられている。
◇竹送り 東大寺とのつながりからか、古くから二月堂のお水取りに用いられる籠松明の真竹を寄進する行事で、普賢寺地区の竹林で切り出した竹を大御堂観音寺に運び、道中の安全を祈願、その後、竹に山城松明講の文字を入れ出発する。戦後しばらく途絶えていたが、昭和53年「竹送り」として復活し、現在も続く。
資料 昭和京都都名所図会 竹村俊則著より
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