京都観光タクシー同友会の観光案内
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上賀茂神社の桜2011年4月
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京都では最古の神社。神武天皇のとき、はじめて神社の北にある御阿礼所に神が降臨したという。第40代天武天皇の白鳳6年(678)には、山背国により賀茂神宮が造営され、平安遷都後には王城鎮護の神として朝廷の崇敬を受けていた。弘仁元年(810)には斎院の制が施かれ、歴代皇女が斎王となり、その制度は35代、約400年続く。長元9年(1036)には21年ごとに社殿を建て替える式年造営の制が定められ、文久3年(1863)までに32度の造営がおこなわれた。※『延喜式』では名神大社に列し、のち山城国一ノ宮として尊崇。また、摂関家や源頼朝をはじめ、信長・秀吉なども参詣し、所領を寄進。特に徳川家は家紋の三ツ葉葵が、神社の神紋二葉葵に由来するところから、特に信仰を寄せていたという。明治以降、終戦まで官幣大社として伊勢の神宮に次ぐ、全国神社の筆頭に位した。
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二の鳥居 | 立砂 | タラヨウの木 |
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楼門 | 御所桜 | 風流桜 |
※『延喜式』 「養老律令」の施行細則を集大成した古代法典。延喜5年(905)、藤原時平ほか11名の委員によって編纂を開始され、その後も修訂が加えられ、40年後の康保4年(967)に施行された。全50巻。
■祭神
■『山城国風土記』逸文 玉依姫が瀬見の小川(賀茂川)で川遊びをしていたとき、川上から流れてきた丹塗の矢を取り、これを枕辺に指し置いて身ごもって生まれたのが賀茂別雷命で、この矢は乙訓坐火雷命(松尾大社祭神)であるという。成長してのち、玉依姫の父、賀茂建角身命(下鴨神社祭神)が盃を渡して、父に飲ませよというと、天に向かって酒杯を投げ、自らも天に昇ったので、天の神の子であるとわかったという。賀茂の社を氏神とする賀茂氏は、秦氏とならぶ古代豪族であるが、秦氏の氏神は松尾大社であった。上記のことは、古代においての豪族、賀茂氏と秦氏の関係を暗示している。
■神山(こうやま) 神代の昔、本社の北北西にある、秀峰神山に祭神・賀茂別雷大神が降臨したという。
■神紋二葉葵 葵は古く「あうひ」と読み、「ひ」とは「神霊」を意味し、葵とは「神と逢うこと・逢う日」。祭神降臨の際に「葵」を飾り祭りをせよとの神託があったことから、神紋となったという。
■注連縄 通常の2本や3本の藁の束で編んだ注連縄でなく特殊な編み方をした「めおと(夫婦)綯え」と呼ばれる特別な編み方。
■立砂(たてすな) 神が降臨する依代で、御神体山である神山の円錐形を象ったものという。ふたつの立砂の頂上には二葉と三つ葉の松葉が挿してある。
■御手洗川 現在は明神川と称するが、古くは御手洗川の名で知られる。賀茂川の分水で御物忌川、楢の小川と名を変え、境内を出て再び明神川となる。
■本殿・権殿[国宝] 現存する本殿と権殿は、文久3年(1863)の造替によるもの。同形同大で、漆喰塗の亀腹の上に井桁に組んだ土台を載せ、その上に柱を建てる。三間社の身舎に一間の向拝を設け、切妻造平入の屋根の前面を葺き降ろす流造。高欄や七級の木階なども素木のままで、正面両脇間の嵌板には狩野派風の獅子と狛犬(獅子と狛犬の違いは、狛犬には角がある)を描いている。階段の下には板を張って浜床としている。平安時代以来の形式を踏襲している。
■片岡御子神社(片岡社) 賀茂玉依比売命を祀る。平安の昔より縁結び、恋愛成就、子授け、安産の神様として著名。源氏物語の作者である紫式部も参拝。
■タラヨウ(多羅葉)の木 ハガキの語源ともいわれ、葉の裏に尖ったものなどで字を書くと、やがて黒く浮き上がる。又は、火にあぶって吉凶を占ったとも。郵便局のシンボルツリーとなっている。
□競馬(くらべうま)神事 5月5日。寛治7年(1093)以来の伝統をもつ。午後から2組に分かれ、馬の競馳を行い、米作の豊凶を占う。「埒が明かない」とは、競馬で勝敗がつかず、馬場の囲いや仕切りの「埒」、これ「埒」外されないこと。
□葵祭 5月15日。上賀茂・下鴨両神社の例祭で、祇園祭・時代祭と並ぶ京都三大祭の一つ。祭に参列する人々の衣冠や牛車を葵の葉でかざるのでこの名があり、賀茂祭とも呼ばれている。欽明天皇(539~571)のころ五穀豊穣を祈念する祭礼が起源とされ、もっとも盛大だったのは平安時代。中世になって中断したが、明治17年(1884)に官祭として再興された。行列は大正15年(1926)更に整備され、昭和となり国内情勢の激変により昭和18年(1943)雅やかな行列はやむなく中止とされ社頭の儀が斎行されるのみになる。その後、昭和31年(1956)に斎王に代わる「斎王代」を中心とする女人列も復興された。
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□烏相撲 重陽の節句にあたる9月9日。賀茂氏は八咫烏の子孫といわれる。このことにより烏相撲という子供たちの相撲が奉納される。二組に分かれた子供の相撲で、各組から刀禰(とね)という老人が片足で跳ねて登場(烏跳)し、神殿前に円錐形に砂を盛った神の依代である立砂に刀や弓矢を立て、烏の泣き真似をするところから、この名がある。
資料 昭和京都都名所図会 竹村俊則著より
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