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【常照寺】《日蓮宗》075-492-6775

 1616(元和2)年身延山(みのぶさん)第21世日乾上人が本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)より土地の寄進をうけ、その子光瑳の発願によって宗僧の学問所として開創した京都六檀林(だんりん)の一つで、鷹峰檀林と称した。その盛時においては広大な境内に大小30余棟の堂舎が建ちならび、数百人の学僧が勉強にいそしみ、鷹ヶ峰の最盛時を現出したが、明治初年に檀林が廃されてからは寺も衰微し、今は旧檀林の名を保つに過ぎない。

山門 本堂 吉野窓
吉野太夫墓 常富大菩薩 帯塚

山門 俗に「赤門」または「吉野門」とよばれ、もと島原の名妓吉野太夫が寄進したといわれ、参道の桜はのちに吉野をしのんでうえられたものという。

本堂 本堂に掲げる扁額(へんがく)「学室」は光悦の筆とつたえ、堂内には本尊十界大曼荼羅を祀り、傍に三面大黒天や日乾上人像等を安置する。

吉野太夫墓 本堂背後にある。吉野太夫は六条三筋町(島原の前身)の名妓として一世を風靡し、その才色兼備を謳われた。上京の豪商※佐野(灰屋(はいや))紹益(しょうえき)に身請けされ、1643(寛永20)年8月25日、38歳で没した。紹益は「都をば花なき里になしにけり 吉野を死での山に移して」とその死を悼んだ。吉野は生前、日乾上人にふかく帰依していたので、その縁故により当寺に埋葬されたものであろう。

※灰屋紹益(1607〜1691) 江戸初期の京都の豪商。本名は佐野重孝。本阿弥光悦と交友し茶道・和歌・蹴鞠に通じた。著書に随筆『にぎはひ草』がある。名妓吉野太夫の夫。

花供養 吉野忌を兼ね、毎年四月第三日曜日に行なわれる。当日は島原の太夫による墓参や供茶法要が営まれ、大きな丸窓が吉野の好んだことから「吉野窓」と呼ばれている遺芳庵(いほうあん)茶席をはじめ、境内随所に野点(のだて)の茶席がもうけられる

帯塚 「帯」に感謝し、祈りを捧げるため、昭和44年に建立された。塚石は吉野産の自然石を白砂の上に帯状に配置し、苔を以って鷹ヶ峰三山を表現している。五月の第二日曜日には帯の時代風俗行列や帯供養が行なわれる。

常富大菩薩 境内西北隅に鎮守社として祀られている。享保年間(1716~36)学寮に智勇という学僧がいたが、しばしば不思議な行いがあるので、一夜その部屋をのぞいたところ、白狐であることがわかった。姿をみられた白狐はやむなく当山を去り、摂津能勢の妙見にて修行を重ね、常富大菩薩となったという。

資料 昭和京都都名所図会 竹村俊則著より

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