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【常寂光寺】《日蓮宗本圀寺派》075-861-0435fax075-862-0109
常寂光寺の紅葉 2010年11月
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1596年(文禄5) 本圀寺第16世の※日槇上人の隠居所を、寺に改めたもので、この地が清浄閑寂たること常寂光土の如しということから、寺号としたと伝わる。上人は角倉栄可・了以父子をはじめ小早川秀秋・小出秀政等、多くの人々の帰依を受けた。上人は角倉了以によって大堰川の工事が行われた際、本圀寺の檀家をよびよせ、了以の事業を支援させたことがあり、これが保津川下りの濫觴となった。
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06-11-13 楼門 | 06-11-13 本堂裏の庭園 | 06-11-26 紅葉 |
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06-11-26 紅葉 | 06-11-26 多宝塔 | 歌僊祠 |
※日槇上人 本圀寺第16世。方広寺大仏殿千僧供養の際、日蓮宗不受布施派(法華を信じない者の施しを受けず、また、施さないことを旨とする)の伝統を守って出仕せず、小倉山に隠棲、1617年(元和3)57歳で寂。ちなみに、この一派は豊臣秀吉、江戸幕府から弾圧をうけたが、明治になって布教を許された。
■本堂 伏見城客殿を移したものとつたえ、本尊法華題目・釈迦多宝仏を安置し、また仁王門(南北朝)は本圀寺客殿の南門を移築したとつたえ、茅葺屋根の建物は、寺のシンボルとなっている。
■多宝塔[重文] 方三間、重層、宝形造、屋根は檜皮葺、総高約12m余。下層中央は桟唐戸、左右連子窓とし、擬宝殊高欄付の縁をめぐらし、内部に釈迦・多宝二仏を安置するので、「並尊閣」と称する。1620年(元和6)京都町衆によって寄進されたとつたえ、往時の町衆の財力をしのばせる。
■歌僊祠 藤原定家小倉山荘跡という伝承に因み、定家・家隆両歌人を祀った祠堂。もと仁王門の北にあったが、寺の建立にあたって現在の山腹の地に移したとつたえる。藤原定家の「忍ばれんものとはなしに小倉山 軒端の松に馴れてひさしき」とうたった和歌によって、「軒端寺」といわれる。
■女の碑 「女ひとり生き、ここに平和を希う」としるす。銘文の筆者は市川房枝。第二次大戦に結婚を逸し、戦後の苦難を耐え忍んだ多くの女性達の、生きた証として建立したもの。昭和54年女の碑の会建立。
■その他の墓 小倉藩主小笠原氏三代(秀政・忠脩・忠真)墓、日槇上人墓および俳人高桑義生翁の墓がある。
資料 昭和京都都名所図会 竹村俊則著より
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