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【地蔵院(椿寺)】《浄土宗》075-461-1263
浄土宗知恩院派の寺であり、一般には「椿寺」の名を以て知られる。寺伝によれば、726年(神亀3)行基の開創と伝える。はじめ衣笠山麓にあったが、1391年(明徳2)内野兵火に罹災したのを、足利義満が北山殿造営の余材を以て再建されたという。その後、豊臣秀吉の命によって、現在地に移ったと伝えられる。
山門 | 五色散椿 | 観音堂 |
地蔵堂 | 夜半亭巴人墓 | 天野屋利兵衛墓 |
■本堂・観音堂 本尊五却思惟の阿弥陀如来像を安置し、棟続きの南の観音堂には十一面観音立像(藤原)を安置する。はじめ南都にあったが、霊告によって地蔵院に移したといい、洛陽三十三ヶ所三十一番札所となっている。
■地蔵堂 摂津国、昆陽寺(こやでら)から移したという地蔵菩薩像を安置し、俗に鍬形地蔵、木納屋地蔵または野寺地蔵と呼ばれた。その堂後の二枚開きの板扉は、もと北野天満宮の多宝塔の遺構とつたえ、内面には四天王のうち二天の極彩色の像が描かれている。
◆五色散椿 書院の前庭にある。樹齢およそ四百余年におよぶ五色の八重椿で、もと朝鮮にあったのを、文禄の役に加藤清正がたずさえ帰り、秀吉に献じたといい、秀吉は北野大茶湯の際に当寺に寄進したと伝える。花は真紅・純白・薄紅・紅白絞り等の五色からなり、三月末から咲きはじめて五月の中頃までつづく。
◆天野屋利兵衛墓 境内墓地にある。寺伝によれば、赤穂浪士を助けた大阪の天野屋利兵衛は、晩年当寺にはいり、余生を浪士の冥福と社会の公共事業に過ごしたという。
◆夜半亭巴人の墓 境内地蔵堂の傍らにある。巴人は榎本其角の門人で、与謝蕪村の師にあたる。享保の頃、京都に来て江戸風をひろめたが、後に江戸に戻って日本橋石町に夜半亭をむすんだという。この墓は門弟達がその遺髪をうけて建てたものと伝える。
資料 昭和京都都名所図会 竹村俊則著より
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